朝鮮人、この複雑な存在(という勝手なイメージ)
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「ファンさんは外国の方ですか?」
「あ、はい。在日朝鮮人って分かりますか?」
「在日の方ですか~。分かりますよ! 小学校の時からクラスに在日の友達たくさんいましたよ」
「そうなんですか!」
出張先の京都で美容室に行った時のこと。6月中旬、梅雨明け直前の京都は気温と湿度が高く、伸び切った髪がうとましかったので取材の合間に駆け込んだのだった。
その美容師さんが生まれ育った地区には在日コリアンも多く暮らしていたという。今でもつるんでいる幼なじみの半分ほどは在日ですよと話していた。一方で歴史には詳しくないようだった。なんとなく「在日=韓国」と理解しているような節がある。
仕方のないことなのかもしれない。日本社会で「朝鮮」「朝鮮人」という言葉は今も昔も口に出しづらい。日本の学校に通っている在日コリアンの子どもたちこそ、そんな空気を敏感に感じ取っているだろう。詳しくは話さず、「韓国」「韓国人」と言っていてもおかしくはない。ルーツを明らかにした上でその場に馴染めていただけでも幸運だと思う。
それでも一口に「在日」と言ってもさまざまな背景の人がいること、「韓国」ではなく「朝鮮」を自称する人も一定数いることは知ってほしく、「私は韓国というより、自分のことを在日朝鮮人って呼んでるんですけどね」と改めて言ってみた。
すると「あ、朝鮮ね~。朝鮮の人たちって、ちょっといろいろ複雑な人が多いですよね」との反応が。
ん? 「私は朝鮮です」と言った直後に「複雑な人が多いですよね」? それはコミュニケーションとしてもちょっとトンチンカンじゃないか? 混乱して笑いそうになった。
表面上ではなにくわぬ顔で続きを促すと「実は僕のおじさんも朝鮮の人なんですわ」と言うではないか。「えっ!? そうなんですか?」。さらに深まる謎。ということはあなたも「朝鮮」ではないのか?
しかしそこは私の早とちりだったようで、美容師さんの直系の親戚にあたるおばさんがおり、その人と結婚した人(つまり血がつながっていない)=おじさんということだった。
「そのおじさん、ちょっと“あっち”の仕事しててね。朝鮮ってそういう人多いですよね」。
詳しくは聞かなかったが、“あっち”の仕事がどんな職業を指すのかはある程度絞って想像できる。しかし「朝鮮ってそういう人多い」という一般化はどこから来るのだろう。クラスで一緒だった「在日の友達」と「朝鮮のおじさん」が同じ歴史的背景を持って日本に暮らしていることを理解していないのだろうか。
出会いは多いはずなのに、知っていることが断片断片で隔たれすぎていて、ものすごく偏った認識を持ってしまっている。特に「朝鮮という属性を持つ人=複雑な人たち」という偏見は、その人のためにも周囲のためにも正さなければいけない。
そう思ったが、(会話が講義になっちゃうなあ)と考えると気力も失せ、結局少しだけ朝鮮学校の紹介をして会話を終えた。
くしくも私は、この期間に「マイクロアグレッション」の取材をしていた。マイクロアグレッションとは、社会で広く浸透している人種やその他マイノリティ集団に対するステレオタイプや偏見、それらに基づく期待などがベースとなって無意識に発せられるメッセージのことだ。ヘイトスピーチのような露骨な差別に比べて認識しにくく、ゆえにマイクロアグレッションを受けた当事者も混乱してしまったり指摘しづらいという特徴がある。
上に書いた一連の会話も、美容師さんから私へのマイクロアグレッションだ。こうしたやり取りにすっかり慣れてしまった私でも今回の会話には少しびっくりしてしまった。自身のルーツを明かしたことのある、あるいはオープンにしている在日コリアンであれば、誰もが似たような経験を持っているだろう。
月刊イオ8月号では、他にもいくつかのエピソードとともに、マイクロアグレッションという概念をどのように活用していったらいいかに加え、マジョリティが持ち合わせておくべき視点や考え方について3pで紹介する。
発売日は7月14日(木)予定。定期購読の申し込みはイオwebから。(理)
※Amazonでも1冊から購入可能。商品ページのURLは後日、月刊イオのSNSアカウントでもお知らせします。
この本、こちらのVoicyでも紹介されていましたね。
https://voicy.jp/channel/794/350156
私はまだ読めていないので何とも言えませんが、こうした書籍の登場自体は肯定的に捉えて良いのかなと思いました(少なくとも我々が抱えているモヤモヤを説明しやすくはなる)。
記事楽しみにしております。