在日同胞社会は狭い
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先日、義理の弟の婚約式(親族顔合わせの食事会)があった。
コロナ禍で婚儀もめっきり減った。礼服を着るのも久しぶりだ。
梅雨が明けて、この日も猛暑だった。
炎天下を移動しながらつくづく思った。毎日スーツにネクタイをしめて革靴をはく職業は自分には無理だと。とくに、高温多湿化が進む日本の夏にスーツを着るのは自殺行為だ。
猛暑に追い打ちをかけるように、事故で電車が運転見合わせというトラブルに見舞われた。休日の家族のおでかけ程度ならあきらめて帰宅するところだが、この日はそうはいかない。バスを乗り継ぐ迂回ルートを使い、会場を目指す。2歳9ヵ月の息子が思いのほかぐずらず、おとなしかったのが不幸中の幸い。結局、1時間遅れで到着した。いやー、まいったまいった。
「冠婚葬祭」という四字熟語がある。「冠」は、成人式や七五三、還暦など人生の節目の祝いごと(もともとは元服【成人の儀式】のとき、冠をかぶせて祝ったことに由来)。「婚」は、結婚式・披露宴などの婚礼、「葬」は通夜、告別式など葬儀全般を指す。「祭」は法事やお盆、お正月や節分など一年の節目の行事全般を意味する。「婚」や「葬」が何を意味するかは知っていても、「冠」や「祭」は?と問われると、わからない人もわりといる。そんな話を妻としながら帰路についた。
ちなみに、義理の弟の結婚相手は私の高校・大学時代の同級生の親族だった。その同級生とはすでに姻戚関係にあったのだが、また新たなつながりが生まれたというわけだ。
「在日社会は狭い」という「トンポ(同胞)あるある」が生成されるまさにその瞬間に立ち会った一日だった。(相)