ウリマルの輝き
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先日、おつかいを頼まれて会社から自転車で5分のところにある区立生涯学習センターへ向かった。同センターで毎週開かれている同胞の体操サークルがイオ8月号で紹介されたため、サークルの金副会長が「掲載誌をメンバーたちにも配りたい」と問い合わせて下さったのだ。
約束は13時。駐輪場に自転車を止めて金副会長の姿を探していると、「편집장(編集長)?」と声をかけられた。本来は編集長がお渡しする予定だったが、急用のため自分が代わりにお届けにあがった旨を伝える。
―응 알았습니다. 여기서 만나니까 마침 좋았소. 더운데 고맙습니다.
(うん、分かったよ。ここで会えてちょうど良かった。暑いのにありがとう)
金副会長の笑顔となにげない一言が不思議と胸に残り、会社への帰り道、自転車をこぎながら上の場面を何度も反芻した。懐かしいというか、あたたかいというか、こうした瞬間と気持ちをずっと忘れないでおきたいなと感じる響きだった。
もしも雑誌を手渡す相手が日本の方で、同じように日本語で親しいあいさつを受け取ったとして、その言葉を何度も反芻しただろうか。…きっと嬉しくはなると思う。ただ、やはりウリマルの響きは特別、心に響くなと実感した。
私が本格的に朝鮮語を学び始めたのは日本の学校から朝鮮高級部に編入した15歳。いつ頃からウリマルをウリマルとして理解できるようになったかは忘れてしまったが、頭の中で日本語に訳さなくてもダイレクトに意味が伝わることも関係あるのかもしれない。
短い一言に、広い日本社会で同胞同士が出会い、声をかけ合うことの喜び、また「暑いなか訪ねてきた」ということ以上の労いの気持ちを感じたのは私が“浸り過ぎ”だからだろうか。
そんなことを考えながら会社に戻り、デスクにつく前に資料室の本棚をなんとなく物色していると、一冊の詩集が目に留まった。
意図せずぱらぱらとめくったページに「ウリマル」という題名の詩が載っている偶然に少し驚く。
…
在日を生きる自覚の芽生えとともに
はじめてウリマルが輝き出す
ウリマルをうまく話せるとき
在日を越えて
祖国を実感し 世界につながる
朝鮮語は後付けの言葉
肉体化した言葉はやはり日本語
ソウルで講演するときのメモ書きも日本語
瞬間的に同時通訳しながら口にするウリマル
日本語に抗うとき
そこに朝鮮語がある
慣れ親しんだ日本語世界を生き苦しく思うとき
束縛から解き放たれようと朝鮮語に向かう
…
(詩の後半より一部抜粋)
私がとりとめもなく考えていたこととは方向性が違うものの、「ウリマルが輝き出す」という表現や、抜粋した最後の2行には胸をつかまれた。
ウリマルとの出会い方、習得の仕方やタイミングは人それぞれでも、朝鮮半島にルーツのある人には誰だってウリマルが輝く瞬間が訪れるのではないだろうか。
ウリマルは「우리 말」(우리=私たち、말=言葉)と書く。自分自身と우리との連なりを肌で感じる経験をしたあとに、その輝きが待っているような気がする。(理)