見下しと甘えのコミュニケーション
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「みんなおばあちゃんになっちゃったねー」
少し前、とあるグループLINEで流れてきた言葉だ。
出たよ、つまんねー年齢いじりが。
発言したのは同級生。その人含め、グループには男性が複数いたにもかかわらず、女性にだけ向けられた「冗談」である。特定の男性の見た目を揶揄する文章もオマケのように添えられていた。
これまでリアルでも文章でも耳にすることはあって、こういう言葉が自分たちに向けられるようになった当初(20代後半)はいわゆる「つっこみ」をすることで相手の意図する会話の流れを成立させてきたが、その時も別に面白くもなんともないやり取りだったことを思い出した。
念のためきちんと書くなら、「おばあちゃん」と言われることが嫌なのではない。そういうことを言ってくる人の頭の中に「歳をとった女性は恥ずかしい」という偏見がまずあり、さらに「女性自身もそう感じている」という、目の前の相手だけでなく、上の世代まで含め、たくさんの人を見下している態度、「おばあちゃん」という言葉を嫌なものとして扱う傲慢で勝手な相手の態度に腹が立つのである。
また、こうした「いじり」は、潜在的には相手を見下していながらも、その相手のリアクションなしには成立しない、甘えのコミュニケーションとも言える。
本人はなにも考えていないのだろう。学生時代から変わらない、女性や年上の人や特定の男性をからかうノリ。なんというか、もうずっとそういう価値観のまま個人で生きるのは勝手にしたらいいと思うのだが、未だにいじりを会話の道具に使うなよ、と言いたかった。
しかし言えなかった。LINE上で反応したら、「年齢のことを言われてムキになっている」と捉えられかねない、結局向こうの望む解釈に置き換えられてしまうかもしれないと感じたからだ。
同時に、自分のそうした消極的な対応こそが、「このコミュニケーションは面白い(成立する)」という勘違いをいつまでも保存させてきたのだなと反省もした。
ヤケになって「もうずっとそういう価値観のまま個人で生きるのは勝手にしたらいいと思う」と書きはしたが、その同級生は教育にかかわる仕事をしているので、「歳をとった女性は恥ずかしい」などの偏った価値観をベースにした考え方や人との接し方を子どもたちの前で無意識に出してしまわないか心配にもなった。
「君たちももう10年後にはおばさんだぞ」「あっという間におばさんになっちゃうから」…こうした何気ない言葉が、次の世代のまだ柔軟な価値観に少しずつ型をつけていってしまう。言われる女性だけではなく、その場にいる全員にそうした価値観を持たせてしまう。見た目いじりも同様だ。
自分が日常的に使っている言葉の意味、背景、それがもたらす効果について、定期的に見直さなければならないと思う。そして、「この言葉でこういう風に感じる人がいるんだ」という気づきがあったら、少しずつ関連する学びを深めていく必要がある。自戒を込めて。(理)