柔らかい料理頭
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これまで、日刊イオで何度か料理に関することを書いてきた。私が自炊を本格的に始めたのは2019年夏、29歳からだ。
過去に、料理を「工作のような感覚で楽しんでいる」と書いたような気がするが、今もその感覚は変わっていない。
というより、何よりもその工作のような作業が個人的に一番好きな部分なのだと思う。この前、大根を細切りしている時にハッと実感した。
じゃく、じゃく、と包丁から手に伝わる感触と、すぐ横に成果として積み上がっていく大根。
しばし無心になって同じ作業を繰り返す時間が、自分にとってはヒーリング効果ももたらしていることに気づいた。
さらに材料を切っている最中、企画の種になりそうなキーワードや、ブログのネタになりそうな思い出がポッと頭に浮かんだり、止まっていた考えがすんなりまとまることがある。
リラックスして柔らかくなった頭の中ではいろいろな記憶が感情にとらわれず自由に漂っていて、意図せぬ結びつき方をするのではないかと考えている。
また毎回、新しいことができるのも楽しい。食材同士の初めての組み合わせ、その発想はなかったという調味料の配合、「焼く・煮る・蒸す」で全く変わる味や食感…。
世の中にはレシピが溢れているのでネタ切れに困ることはない。今日も一つ新しい料理が作れた!というお手軽な達成感が得られるのもうれしい。
この前は、ツナと卵とケチャップで和えるパスタを作った翌日に、作り方をそのまま活かしてツナとキムチとチーズとめんつゆで和えるパスタにチャレンジした。おいしかった。
数年前まで本当に料理への苦手意識があった自分からしたら、レシピも見ずに応用料理に手を出すなんてたいした進歩だ。
経験をもとに、レシピを少しずつはみ出して好きなように作る。料理頭になると、どんどん柔軟な考え方ができるようになっていくような気がする。
一方で、そんなことをつらつらと思いながら料理ができるのも、帰宅してから夕飯まで一定の時間があるからだ。
長年、仕事と家事、子育てに追われながら、家族を食べさせるため、より効率的に料理をしなければならなかった私のオモニにはきっと「料理が楽しい? ハッ!」と鼻で笑われてしまう。人によってはそんな呑気なだけではないのだと。
料理頭に「なった」あと、その時々で求められる料理頭を作ったり、鍛えていくことも必要なのかもしれない。はじめが柔らかければ、どんな風にも形を変えていけるだろう。(理)