私たちの主体的な時間軸を持とう―在日朝鮮人として生きる未来 康宗憲
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2022年の最後のブログは、22年5月号の月刊イオの特集「今こそ未来を語ろう」に掲載された、康宗憲さんの寄稿を全文掲載します。世界や朝鮮半島をめぐる情勢は混とんとしています。来年も続くでしょう。しかし、こんな時こそ、未来に向かって私たちの存在を見つめなおし、よりよい明日を築きたい―。この思いを込めました。康宗憲先生、改めてありがとうございました。
在日朝鮮人にとっての人権
1948年12月10日、第3回国連総会が採択した世界人権宣言は、その第1条で「すべての人間は生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利において平等である」と謳っている。自由と平等を基軸とした近代人権の概念は、1789年、フランス革命による人権宣言を土台としている。
世界人権宣言は単なる権利の平等ではなく、「尊厳」の平等を強調した。第二次世界大戦で体験した、ナチス・ドイツや大日本帝国の住民虐殺などがその背景となったのだろう。「尊厳」を追加した意義は極めて重い。私なりの解釈だが、自由と平等は人間の尊厳を守るためにあり、住民の尊厳が踏みにじられているなら、民主社会が掲げる自由と平等も虚しい空言にすぎないからだ。
在日朝鮮人の存在を、どのように規定できるのだろう。「過去を反省しない植民地宗主国で、分断国家の海外同胞として生きる集団」とでも言おうか。しかしどのように規定しても、私たちの自由は今も制約されており、尊厳と権利において深刻な不平等状態に置かれてきたことは、明白な歴史的事実である。私たちにとって重要なのは、普遍的な人権にとどまらず、在日朝鮮人として生きるうえでの人権であり尊厳なのだ。
36年間の植民地統治が終わっても、日本社会の根強い植民地主義は残存している。その端的な表象が民族教育権の否定であり、蔓延するヘイト暴力である。
朝鮮学校への無償化排除、ウトロ地区への放火テロはまさに、植民地主義という構造的暴力の醜態に他ならない。また、独立後も77年に至る民族の分断状況は、私たちが所属や理念を超え同胞として団結することを妨げている。
私たちへの迫害と弾圧は、南北を問わず、朝鮮半島にルーツを持つ在日朝鮮人を標的にしたものだ。それゆえに、朝鮮民族の真の解放は、植民地主義と分断状況を克服するなかで達成されるだろうし、それが私たちの人権と尊厳を実現する道なのだ。
私の青春—
死刑宣告と監房で見た未来
在日朝鮮人2世として生まれ高校まで日本の学校教育を受けた私は、せめて大学は祖国で学びたいと思いソウル大学医学部に留学する。言葉や文化だけでなく、新たな社会への理想を祖国の若者たちと共有したかったからだ。
当時の朴正煕政権は民主化を求める学生たちを抑圧し、私も1975年に反共法・国家保安法違反の容疑で拘束された。学内の進歩的なサークルに参加していたに過ぎない一介の学生を、当局は在日朝鮮人留学生という理由から「スパイ団事件の首謀者」に仕立て上げ、死刑判決を宣告する。24歳の私は、ソウル拘置所で最年少の政治犯死刑囚になった。
監房内にはカレンダーや時計がない。時間と空間を刑務所当局が支配する。
囚人から時間や歳月の感覚を奪い、自律的な生活設計を不可能にするためだ。常に過去の「罪」に向き合うことを強要し、理想や信念を揺るがせ未来への展望を持てなくする。だが、軍事独裁の統治する暗黒の時代にも、監獄への道を選択する青年たちが後を絶たない。
社会の矛盾に目をつむり大学を卒業すれば将来が保障されるのに、彼らは一個人の安楽よりも、万人の尊厳が豊かに息づく社会を願ったからだ。学生運動や労働運動に参与して堂々と入獄する青年たちの姿から、私は祖国の未来に希望を抱いた。そして民族分断の痛みを共有する一人の在日朝鮮人として、自らの青春を祖国の監獄に埋めた。
社会の変革を目指す
在日朝鮮人
日本社会は、在日朝鮮人が誇りをもって生きることを困難にする。歴代政府の民族差別政策は市民社会とメディアの良心を麻痺させ、私たちの声はなかなか反映されない。
教科書も過去の侵略戦争と植民地支配の実態を教えず、次世代の歴史認識は著しく歪められている。平和憲法を持つ国が、自国民に植民地主義を温存させているという矛盾を、私たちは誰よりも深刻に体験しているのだ。
この状況を断じて受け入れることができない私たちは、力を合わせて闘ってきた。各地で展開された無償化裁判は敗訴が相次いだ。一連の訴訟は徒労だったのか。国家権力を相手にする闘いで、無意味な敗戦は存在しない。全ての敗戦にはそれなりの意味がある。だが相次ぐ敗戦に失望し運動を放棄した時点で、「敗戦」は「敗北」となる。権力はそれを待っているのだろう。時間と歳月を日本政府に支配されないためにも、私たちの主体的な時間軸(決して放棄しない信念と勇気)を持とう。
在日朝鮮人としての尊厳は、私たちの団結した力で守り具現していくしかない。同胞たちが集い、悩みを語り合い、どうすれば状況を改善できるか話し合う広場(マダン)が各地にあればと思う。
「カネのある者はカネを出し、知恵のある者は知恵を出し、力のある者は力を出す」は、抗日義兵闘争期のスローガンだが、今を生きる私たちにも通じる民族的な教訓だろう。
抑圧の現状と圧倒的な差別構造に埋没しないように、在日朝鮮人の主体的な時間軸を設定しよう。
そうすれば、日本社会が課している思考領域の時間的・空間的な制約から解放される。そして私たちの未来を切り開くために、在日朝鮮人としてのロマンを育み共有したい。植民地主義を克服し、民族分断の現状を平和統一へと変革する壮大なロマン。
私にとってそれは、単なる夢ではなく、能動的な意志に基づく生きがいである故にロマンなのだ。漠然とした希望を超え、確固たる信念に依拠する展望を共有するために、次の二つを念頭に置こう。
先ず、決して放棄しないこと。
そして、一人ではなく、仲間と力を合わせて進むこと。(2022年4月3日)
かん・じょんほん●1951年、奈良県生まれ。在日朝鮮人2世。1975年、ソウル大学医学部に留学中、「北のスパイ」である疑いをかけられ、国家保安法違反容疑で拘束、その後に死刑判決が確定。無期懲役に減刑され1988年に仮釈放、翌年に日本へ戻る。2012年、再審請求が認められ、13年にソウル高裁で無罪判決。15年8月に大法院で無罪が確定した。著書に『死刑台から教壇へ 私が体験した韓国現代史』(角川学芸出版/2010年)がある。