ウェブトゥーンとの出会い
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定額制動画配信サイトを物色中、「今日のウェブトゥーン」という韓国ドラマが目に留まった。予告編を見ると、“新米編集者たちの葛藤と成長を描くヒューマンドラマ”とある。すぐさまウォッチリストに追加した。
ウェブトゥーンとは、韓国発祥のデジタルコミックで、縦にスクロールして読むのが特徴だ。近年、日本にも輸入されて少しずつ広がってきている印象である。
上のドラマは、『重版出来!』という日本の漫画が原作のようで、編集者と漫画家たちの人間関係を描く群像劇。私は雑誌の編集者なので漫画編集者とは業務内容が異なるものの、広義の同業者が主人公なので興味を持った。
日常生活において、注目されるのは作品(漫画)自体で、作り手である編集者や漫画家にスポットライトが当たることはあまりない。ときに脚光を浴びても、やはり漫画家に関心が注がれる場合が多い。
仲介者である編集者の考えや価値観が語られることは珍しく(携わった作品を軒並みヒットさせている編集者など、飛びぬけたセンスを持つ人が取り上げられることはあるが)、だからこそ同業者としてはそちらの方が気になる。
さらに、私はウェブトゥーン自体に思い入れがある。そこに行きついた経緯はすっかり忘れてしまったが、大学生の頃、韓国の大手ポータルサイト・NAVERでウェブトゥーンを知り、夢中になった期間があるのだ。
きっかけは、サイトの下の方になんだか色々な絵柄のイラストがたくさん表示されているのを見つけたこと。
あてもなくクリックしているうちに、生まれて初めて接する縦スクロールの漫画であること、とりあえずすべて無料で読めること、数多くの作家がその媒体で連載しており、基本週1で新しいエピソードが公開されること(月曜担当、火曜担当、水・金曜担当など、曜日制だったので毎日なにかしら最新エピソードが読める)、そしてこれらを「웹툰」と呼ぶのだということを学んだ。
軽いエッセイ調のもの、オムニバスホラー、時代劇、コメディ、恋愛…ジャンルも多様。
中でも私が夢中になったのは「너에게 하고 싶은 말」という作品だ。細かいストーリーは失念してしまったものの、心に深い傷を負った女性が何人かの友人と出会い、救われていくというような内容だった。
調べてみると、連載期間は2009年9月から 2011年2月まで。リアルタイムで1話ずつ追うのではなく一度にまとまった話数を読んでいたので、恐らくすでに完結していたか連載後期だったのだろう。
実家の居間でマウス片手に延々とPCを見つめていたことを覚えている。夏休みか冬休みで帰省中に読んだものと思われる。
人の温かさや優しさ、つながりの大切さを感じさせる一方で、それを際立たせるために人間の悪意や心の闇も描いており、その描写に迫力もあり、「こんな作品があるのか」とドキドキして読んだことは記憶している。
「こんな作品があるのか」との感覚は、当時の私からしたら「こんな世界があるのか」と同等くらいの感動だった。というのも、それまで私は韓国のコンテンツに触れる機会がほとんどなかったからである。
韓国で話されるウリマルはイントネーションも違うし、外来語も多いし、自分自身も語彙が少ないし、とにかくネイティブのコンテンツを楽しめる自信がなかった。
しかし何気なく、というより自信のなさよりも好奇心の方が勝っていざ読んでみると、思いのほか言葉も理解できるし、面白かった。
ストーリーの新鮮さはもちろんのこと、ウリマルではこんな表現をするのか! こんな粋な言い回しがあるのね、と言葉に関する再発見も多かった。
ウリマルを知っているからこそアクセスできた情報、ウリマルの意味や、言葉に込められた情緒を理解できるからこそ伝わるニュアンス。
大げさではなく、ウェブトゥーンとの出会いは私の世界観を一つ拡張してくれたし、ウリハッキョで習ったウリマルがその土台になっていたのだと思った(“模範的なオチ”のようになってしまうが当時、純粋にそう感じた)。
さて、長くなってしまったが冒頭のドラマである。せっかくブログで言及するので取り急ぎ第1話を視聴した。ドラマの主人公がウェブトゥーンをとても楽しそうに読んでいる、それだけの描写にジーンとしてしまった。
(次にどんな展開が待っているんだろう)と画面を下から上にスクロールし、だんだんと表れてくる次の展開に一喜一憂し、この下にもたくさんの物語が待っているのだとわくわくしていた当時の感覚を思い出して無性に懐かしくなったからだ。
体育会系の主人公がとても魅力的で、一気に親しみが芽生えた。この子が新米編集者としてこれから東奔西走するのか…。先輩気分でじっくりと見守っていきたい。(理)