33年ぶりの朝高卒業式
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3月5日は日本各地の朝鮮高校で卒業式でした。
わが家も12年の月日をウリハッキョで過ごした男子が朝高を卒業。
日本で生まれた子どもたちは4世ですが、親はたとえ社会的にハンディがあったとしても民族教育をと望んできただけに、卒業を前に「朝高に通ってよかった」との言葉を聞いたときは、素直に嬉しかったです。
私が母校を卒業したのは1990年。
33年ぶりに卒業式に参加しながら不思議な気がしました。
男子アイパー組は健在、「セットが崩れるから、友だちと徹夜していた」と話すあるアッパは元同僚で、二人で笑いました。
卒業式が終った最後、高3は広場で円陣を組み、「다시 만납시다(また会いましょう)」をうたい、別れを告げます。
出会えた喜びと別れの寂しさが詰まった動画を見て、胸が熱くなりました。
新型コロナウイルスの感染拡大で、休校から始まった高校生活。
授業はオンライン、部活はさまざまな大会が中止、心身のバランスを崩して学校に通えなくなり、進路を模索する子もいたと想像します。
マスクをつけながら、距離を取りながらの学校生活。他校から来た初対面の同級生や、先輩後輩たち。互いを知り関係を築いていくことが、過去の「常識」ではできなかった3年間。すべての子どもが、「その子なりのしんどさ」を抱えながらの日々で、葛藤やもどかしさも多かったと思います。
この1年は少しずつ通常生活に戻りつつありましたが、学校に行く、通うことが、あたりまえの環境ではなかった。子どもたちにとって、「学校」という場所がどうあるべきかと、考えさせられることは多かったです。
「コロナ禍を生きた子どもたち」のこれからは、どうなっていくのでしょうか。時に立ち止まったときも、殻に閉じこもったときも、見守っていきたいと思います。簡単ではないでしょうが…。
今年の卒業式は、3年ぶりに通常の形に戻り開催されました。
この場がなければ、110余人の高3たちが出会うことがあっただろうか?
ごった返す会場を後に、そんな考えが頭をよぎりました。
出自を恥じず、自分を誇れる場所としてのウリハッキョー。
大切な場所、これからもあってほしい場所だとかみしめます。
朝高に関わってくれたすべての方に感謝します。
そして、朝高卒業生の皆さん、チャレンジを続けてください。
未来は、君たちの手の中にあります。
졸업생들의 앞길에 영광있으리!(卒業生たちの未来に栄光あれ!)