改めて今の思いを
広告
6年間に及ぶ朝鮮新報記者の経験を経て、今年3月から月刊イオ編集部に来た。頭が少し落ち着いてきたところで、今日のブログには、新報記者生活時にお世話になった方々そしてこれから新たに出会う読者の皆様への挨拶を兼ねて、今の思いを綴ろうと思う。
2017年3月、朝鮮大学校文学歴史学部語文学科を卒業後、朝鮮新報編集部に配属された。
新報編集局にいた6年間は、主に各地の在日朝鮮人運動の現場を取材した。
※自身の新報記者生活を振り返り、朝鮮新報3月8日付コラム「取材ノート」を書かせてもらった。
上司や同僚そして取材先の活動家や同胞たち… 常に人に恵まれた。かけがえのない日々だった。
かつて民放のとある番組内に、「辞令は突然に」というショートドラマがあった。内容は割愛するが、妙に印象深い作品だった。
「辞令は突然に」――まさか自分の身にも降りかかるとは。(部署異動の範疇だが。笑)
朝鮮新報から月刊イオへ、新聞から雑誌へ。
転機といったら大げさだろうが、とりわけそれは予期せぬタイミングで、あまりにも急にやってきた。
異動とはいえ、同じ建物の同じ階の5mほど離れた部屋に身を移すだけ。それなのに簡単には割り切れなかった。元いた部署への思い、未練と紙一重の愛着に整理をつけるには到底時間が足りなかったし、形容できない複雑な感情に駆られて眠れなかった。考えても答えは出ないし辛くなる一方。ならば行動を変えるしかない。飛び込んでみた。
が、しかし…
同じようで全く違う記事の書き方、写真の撮り方、何よりまるごと変わった日・週・月ごとルーティーン… 頭は毎日のようにパンクとフリーズをくり返す。
同じ新報社の記者とはいえ、新聞と雑誌では何もかもが違う!!!
それでも。
取材現場の景色は、いつも見てきたものだった。同胞たちがいて、日本の友人たちがいて、温かな心が交わっていく。新報にいたときと同じように、現場に学び、現場に支えられ、現場に元気をもらい、現場に助けられている。その日々はあまりにも尊くありがたい。
◇
《이어(イオ)》-朝鮮語で 繋げるの意。
多様化の時代、同胞社会を取り巻く問題は単純ではない。その解決も、もちろん一筋縄では行かない。そのようななか、多くの人たちが繋がりながら、あるいは繋がりを求めて生きている。自分自身もそうだ。それを気づかせてくれたのはまぎれもない、現場だった。
新たなフェーズに差しかかった在日朝鮮人運動と同胞コミュニティーの在りようを、真っ向から見つめ、受け止めていけたら。イオ編集部のメンバーと共に、今この瞬間も人知れず汗を流している現場の皆と共に。
常に自身の道しるべとなり、力強く支えてくれる日本各地の同胞たちへ、心にじんわりとしみこんでいる感謝の気持ちを、少しでも形にしていきたいと思う。(鳳)