4・24民族教育闘争から75周年
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1948年の「4・24民族教育闘争」75周年を迎える4月24日(月)、第10回「今、再びその日を称え、心に刻む場」(그날을 기리며 되새기는 마당)が東京・青山霊園の「解放運動 無名戦士の墓」の前で11時から行われる。主催は、朝鮮学校「無償化」排除に反対する連絡会。当日は、4.24にまつわる話を4人がしてくれる。
田中宏・一橋大学名誉教授が「4・24の今日的意義について」、
梁玉出さんが「4・24の実相について」、
裵永愛さんが「愛知での朝鮮学校閉鎖令による大弾圧の経験について」、
金淑子さんが「4・24-その日を称え、心に刻む場について」語る。
「無名戦士の墓」は、1935年3月28日に建立された。小説「女工哀史」「奴隷」作者の細井和喜蔵の死後、友人たちが遺志会を結成し、遺作の印税で建てたものだ。
戦後は、日本共産党と関わりの深い「日本国民救援会」が墓石の頭部に「解放運動」の文字を刻み、毎年パリコミュン記念日の3月18日に墓前祭を開催。
在日朝鮮人が合葬されるようになったのは48年4月からで、日本国内で日本の官憲などによって犠牲になった朝鮮人をはじめとする外国人も、所属する団体などに推薦書を出し、審査が通れば合葬できるようになった。(詳細は「朝鮮学校のある風景」54号、151~158ページに掲載」)
墓には、4・24教育闘争時に逮捕され、軍事裁判で重労働15年の刑を受けた、元朝連兵庫県西神戸委員長の金台三さん、植民地時代から解放後にかけて獄死したり、暗殺、虐殺された同胞や殉職した同胞や愛国者たち100人が合葬されている。
日本政府は、戦後一貫して朝鮮学校をさまざまな形で弾圧してきた。
75年前の「4・24教育闘争」は、日本の植民地支受けた朝鮮民族が、解放後に当然の権利として獲得した民族教育の権利を奪おうとした弾圧に対し、約100万人もの同胞たちが立ち上がった闘いとして、今日まで語り継がれてきた。
今一度、4・24の闘いの意義をかみしめる一日にしたい。(瑛)
※4・24教育闘争に関しては、月刊イオの連載「朝鮮学校百物語」で詳しく報じている。
金太一少年はなぜ殺されたのか/始まりのウリハッキョ編vol.44 4・24教育闘争(上) – イオWeb (io-web.net)
不屈の精神を生んだ 4・24/始まりのウリハッキョ編vol.45 4・24教育闘争(下) – イオWeb (io-web.net)