キムチと深沢潮さんのエッセイ
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フォトジャーナリストの安田菜津紀さんらが運営している団体「Dialogue for People」のHPで小説家の深沢潮さんが先月からスタートさせたエッセイ「李東愛が食べるとき」の第1話「愛しのキムチ」が私のSNS上で少し話題になっていました。
エッセイの最初の方に、
「キムチについてのあれやこれやを書けば、これすなわち在日コリアンである私のルーツや生い立ちに触れることにもなり、自己紹介も兼ねることができると考えました」と明らかにしています。
実際にエッセイを読んでいただければよいのですが、子どものころはキムチが苦手だったこと、焼肉屋で肉をサンチュに巻いてその上にキムチを載せて食べたことをきっかけにキムチが好きになったことなどが綴られています。
そして、「最近は埼玉の朝鮮学校のオモニが作るキムチを取り寄せるのが楽しみとなっています」と書かれていたのがうれしかったですね。
私が幼い時を思い返すと、キムチのことはあまり覚えていません。生活にキムチが堂々と入ってきたのは9歳のころに、引っ越して祖父と一緒に暮らすようになってから。家業が焼肉屋になった時からです。
それは、日本名を使わなくなり、朝鮮人であることを自覚して生きるようになった時と完全に一致します。
しかし、オモニが気を使ったからかお弁当にキムチが入っていたこともなかったし、辛いのが苦手でなかったので、キムチを水で洗ってから食べたという記憶もありません。昔から普通にキムチが好きでした。
上京して一人暮らしをしていた独身時代は家でキムチを食べることはなかったけれど、朝鮮出版会館の食堂にはキムチが提供されていたのでほぼ毎日食べていました。
どちらかというと、漬けたての酸っぱくないキムチが好きです。酸っぱくなったキムチももちろん食べますが、豚キムチにしたり冷麺に入れたりするのに適していると思っています。
ともかく子どものころを考えると、キムチが日本社会にこれほど定着するとは思ってもいませんでした。家でキムチを漬けることはありませんが、普通のスーパーやコンビニにも売られているので、これからはもっと食べるようにしたいです。
エッセイを読んでそう思いました。(k)