虐殺から100年、日本政府の立場が反映された国会答弁
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「みなさま。緊急のお知らせです」
今週月曜日夜、SNS上に以下のような告知が流れた。
「明日5月23日13時20分より、参議院内閣委員会で、杉尾秀哉議員(立憲民主党)が関東大震災朝鮮人・中国人虐殺について質問予定です。朝鮮人虐殺についての国会内質問は、1923年の帝国議会での田淵豊吉(無所属)永井柳太郎議員(憲政会・立憲民政党)による質問以来、100年ぶりになります」
「100年ぶり」については、「裏が取れた情報?」と思いつつ、質問主意書とは違う質問・答弁のやり取りに期待し、インターネットで国会中継を見てみた。
100周年の節目ということで、政府側の答弁にいつもと違う文言が一つでもあれば、と思ったのだが…。
後日インターネット上にアップされていた動画も確認して、やり取りを書き起こしてみた。以下、その核心部分を抜き出してみる。
質問:虐殺が起きた過去の反省とそれに基づく民族差別の解消が必要であって、これは今日的課題であるということが中央防災会議の報告書の締めくくりに書いてある。しかしこうした過去の反省が本当に政府にあるのか、はなはだ疑問と言わざるをえない。2003年には日弁連が国に対して被害者らに対する謝罪と真相究明などを求める勧告を出した。しかしこの勧告に対してはまったく何の答えもない。どうして日弁連の勧告に答えないのか、また今後も答えるつもりがないのか。
答弁:勧告については過去の質問主意書で答弁しているとおり、調査した限りでは政府内にその事実関係を把握することができる記録が見当たらないことから、当時具体的にどのような議論や検討がなされたかを含め、勧告への政府の対応について答えることは困難である。
質問:理解できない。国会図書館に公文書が残っているではないか。それがなぜ確認できないという答弁になるのか。教科書にも記述がある、中央防災会議の報告書の中にもこうした資料に基づいて公的な文書が出されている。そして政府は答弁書の中で中央防災会議の報告書について、有識者が執筆したもので政府として関知しないという趣旨の答弁をしているが、これはあまりにも不誠実すぎるのではないか。
答弁:繰り返しになるが、質問主意書をいただいて答弁を作成するにあたり各省に確認をし、その結果に基づいて政府内に事実関係を把握することができる記録が見当たらなかったということでそのように答弁している。
質問:見当たらなかったのではなく、ある。この問題で政府は問題の所在すら一切認めていないし、謝罪もしていない。中央防災会議の報告書の締めくくりには、「過去を反省し、民族差別を解消するということはきわめて今日的な意義がある」とある。今年が震災100年だ。この機会に関連記録をまず精査してはどうか。
答弁:政府として新たな調査は考えていない。一般論として申し上げるなら、過去の大災害時における流言飛語などへの対応については、われわれは歴史から謙虚に学び、安全安心の確保につなげていく必要があると考えている。
質問:歴史に謙虚に学びとおっしゃったが、歴史に謙虚に学ぶのであれば、政府内に見当たらなかったという表現ではなく、いま現に入手できる資料がいろいろあるので、そうした資料を政府として責任をもって精査してもらいたい。どこの国でもこのようなことはしている。過去の暗い歴史にしっかりと向き合うことが何よりも大事だ。関東大震災朝鮮人虐殺で相当数の命が奪われたことは事実だ。これを政府として重く受け止め、これを歴史の闇に葬るのではなく、もう一度しっかりと向き合い、記録を精査してほしい。そして謝罪すべきは謝罪していただきたい。
答弁:直近でも、熊本地震で遊園地からライオンが逃げたという事実でないことを写真まで加工して人びとを不安におとしいれたことは記憶に新しい。混乱してるときに流言飛語が飛び交う、それにどう立ち向かうか、過去のいろんな災害から謙虚に学んで、そういうことが二度と起きないようにするというのがわれわれの責務だと思っている。
軍隊や警察も関与した当時の虐殺について、中学や高校教科書のほとんどに記述があり、裏付ける記録も国会図書館などにあると指摘したうえで政府側の認識を問うた杉尾議員に対する政府側の答えは、「政府として調査した限り、事実関係を把握できる記録は見当たらなかった。仮に指摘の資料を確認しても、内容を評価することは困難」というものだった。
「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」のサイトに掲載されている資料によると、野党議員は2015年以降、8回にわたり質問主意書で政府対応をただしている。しかし答弁書は毎回、「記録が見当たらないのでお答えは困難」だ。
虐殺から100年、この問題をめぐる日本政府の立場は今回の答弁に端的にあらわれている。
虐殺の真相究明に取り組むつもりもないし、軍や警察の関与について反省もしていなければ、謝罪する気もない。具体的な文書や資料のありかを示しても、さらなる調査は考えていないと突き放す。「木で鼻をくくったような反応」という表現がぴったりくる。そして、「われわれは歴史から謙虚に学び、安全安心の確保につなげていく必要があると考えている」と一般論に逃げ込む。一般論として語っている「大災害時における流言飛語などへの対応」「歴史から謙虚に学ぶ」ということすら、その具体的ケースである朝鮮人虐殺への対応を見る限り、本当にそう思っているのかはなはだ疑わしい。
イオでは、100年という節目に際して、誌面でさまざまな記事を掲載している。今後も掲載していく予定だ。それは、虐殺された人びとを追悼するということにとどまらず、加害の歴史を矮小化し、あまつさえなかったことにしようとする勢力との妥協なきたたかいなのだという思いを新たにした。(相)
以下は、書き起こしの全文
杉尾秀哉:今年は死者・行方不明者10万人以上を出した関東大震災から100年になる。この混乱の中で、朝鮮人が井戸に毒を投げ入れたなどのデマが広がり、朝鮮人や中国人が多数殺害された。加害者には住民で組織した自警団のほかにも警察や軍隊もかかわったとされている。文科省にうかがいたい。関東大震災での朝鮮人、中国人の殺害についての記述がある中学、高校の教科書がどれくらいあるのか。
文部科学省大臣官房・寺門成真学習基盤審議官:中学校社会科歴史的分野で8点中7点、高等学校歴史総合では12点中9点、高等学校日本史探求では7点中7点に記載がある。
杉尾:ほとんどの教科書に記載があるんですよね。この中で軍隊、警察の関与について触れられているものがどれくらいあるのか。
寺門:中学校社会科歴史的分野の教科書は8点中4点、高等学校歴史総合の教科書は12点中4点、高等学校日本史探求の教科書は7点中7点記載がある。
杉尾:そこで朝鮮人、中国人の犠牲者の数について具体的にどういう記述がされているのか。
寺門:「多くの」や「数多く」、または「多数の」という表現を記述しているもの、また朝鮮人については数百人から数千人、中国人については数百人などとする説があり、通説は定まっていないなど、教科書によって異なっている。
杉尾:関東大震災による教訓を継承するため、中央防災会議の中央調査会が2008年に報告書を出した。報告書に次のような記述がある。「殺傷の対象は朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。加害の形態は官憲によるものから、官憲が保護している被害者を民間人が殺害したものまで多様であった。犠牲者の正確な数はつかめないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたる」。この記述について政府も認めるか。
内閣府大臣官房・上村昇審議官:中央防災会議の災害の教訓の継承に関する専門調査会が平成21年3月にとりまとめた関東大震災の報告書の第2編において、ご指摘の内容が記載されているものと承知している。
杉尾:つまり、中央防災会議の報告書にもこういうことが事実として書かれている。この報告書の記述は何を根拠にして書かれているのか。
上村:当該記述について、関東戒厳司令部詳報、震災後における刑事事犯およびこれに関連する事項調査書などの資料が根拠資料として記載されているものと承知している。
杉尾:震災の教訓についてこの報告書の締めくくりにどのようなことが書かれているか。
上村:報告書では関東大震災の応急対応における教訓の一つとして、流言が殺傷事件を招いたことを掲げている。その背景として、当時の軍隊や警察、新聞等が流言の伝達に清し、混乱を増幅したこと、火災による爆発や井戸水の濁りの発生について、爆弾投擲、投毒によるものと誤認したこと、軍隊や警察による武器使用や保護のための連行等が流言を裏書きするように誤認されたことなどが記載されている。また、これらを踏まえた教訓として、過去の反省と民族差別の解消に努力が必要なことをあらためて確認したうえで、流言の発生、自然災害とテロの混同が現在も生じうる自体であることを認識する必要があるということ、不意な爆発や異臭など災害時に起こりうることの正確な理解に努めること、冷静な犯罪抑止活動につとめるべきであること、などの記載がなされている。
杉尾:つまりこういうことが起きた過去の反省とそれに基づく民族差別の解消が必要であって、これは今日的課題であるということが報告書の締めくくりに書いてある。しかしこうした過去の反省が本当に政府にあるのか、はなはだ疑問と言わざるをえない。
もうひとつ、2003年、日弁連が国に対して被害者らに対する謝罪と真相究明などを求める勧告を出した。しかしこの勧告に対してはまったく何の答えも行われていない。どうして日弁連の勧告に答えないのか、また今後も答えるつもりがないのか。
警察庁・楠芳伸長官官房長:勧告については過去の質問主意書において答弁しているとおり、調査した限りでは政府内にその事実関係を把握することができる記録が見当たらないことから、当時具体的にどのような議論や検討がなされたかを含め、勧告への政府の対応について答えることは困難であると考えている。
杉尾:関東大震災をめぐる中国人、朝鮮人殺害について過去8本の質問主意書が出されていて、私も去年1本出した。いずれも回答はけんもほろろだ。回答の内容は今の答弁にあった言葉とまったく一緒だ。「調査した限り」と書かれているが、調査してないのではないか。
楠:調査については、質問主意書としてお尋ねがあった際に、該当する文書の存在の有無などについて各省に確認をしている。
杉尾:私も去年の質問主意書を出すにあたって、国会図書館に所蔵されている文書を見た。インターネットで検索もできる。調査した限りと言っているが、私は12月6日に質問主意書を出して、16日に閣議決定されている。10日間しかない。調べてないのではないか。
楠:繰り返しになるが、政府としては調査した限りでは政府内に事実関係を把握することができる記録が見当たらなかったことから、仮にご指摘の資料を確認しても内容を評価することは困難であると考えている。
杉尾:理解できない。国会図書館に公文書が残っているではないか。それがなぜ確認できないという答弁になるのか。教科書にも記述がある、中央防災会議の報告書の中にもこうした資料に基づいて公的な文書が出されている。そして政府は答弁書の中で中央防災会議の報告書について、有識者が執筆したもので政府として関知しないという趣旨の答弁をしている。これはあまりにも不誠実すぎるのではないか。
楠:繰り返しになって恐縮だが、質問主意書をいただいて答弁を作成するにあたり各省に確認をし、その結果に基づいて政府内に事実関係を把握することができる記録が見当たらなかったということでそのように答弁している。
杉尾:見当たらなかったのではなく、ある。この問題で政府は問題の所在すら一切認めていないし、謝罪もしていない。谷大臣にうかがいたい。中央防災会議の報告書の締めくくりにもあるが、「過去を反省し、民族差別を解消するということはきわめて今日的な意義がある」と私も思う。この報告書の趣旨に今年が震災100年だ。これが本当にいい機会だと思う。関連記録をまず精査してはどうか。
谷公一国家公安委員長:お尋ねの件は、すでに政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらなかったものであり、ご指摘のような対応を取ることは困難であることをご理解願いたい。
杉尾:教科書にもこれだけ多数記述があって、中央防災会議の報告書もあって、繰り返し質問主意書が出されていて、その根拠になる文書も東京都の図書館や国会図書館にもある。せめて、記録を精査した限りなどと言わないで、これからちゃんとやりませんか。100年、これが最後ですよ。この機会を逃すと永遠にできない。
谷:政府として新たな調査は考えていない。一般論として申し上げるなら、過去の大災害時における流言飛語などへの対応については、われわれは歴史から謙虚に学び、安全安心の確保につなげていく必要があると考えている。
杉尾:歴史に謙虚に学びとおっしゃったが、歴史に謙虚に学ぶのであれば、政府内に見当たらなかったという表現ではなく、いま現に入手できる資料がいろいろあるので、そうした資料を政府として責任をもって精査してもらいたい。どこの国でもこのようなことはしている。過去の暗い歴史にしっかりと向き合うことが何よりも大事だ。関東大震災朝鮮人虐殺で相当数の命が奪われたことは事実だ。これを政府として重く受け止め、これを歴史の闇に葬るのではなく、もう一度しっかりと向き合い、記録を精査してほしい。そして謝罪すべきは謝罪していただきたい。
谷:直近でも、熊本地震で遊園地からライオンが逃げたという事実でないことを写真まで加工して人びとを不安におとしいれたことは記憶に新しい。混乱してるときに流言飛語が飛び交う、それにどう立ち向かうか、過去のいろんな災害から謙虚に学んで、そういうことが二度と起きないようにするというのがわれわれの責務だと思っている。
杉尾:動物園からライオンが逃げたという話ではなく、人の命の話だ。9月1日に向けていろんな行事が行われる。繰り返しこの問題が提起されると思う。政府は逃げ続けるわけにはいかない。今年が大きなチャンスだ。また再び質問することを約束する。