犠牲者に報い、追悼碑を守り抜く/群馬「記憶 反省 そして友好」の追悼碑第19回追悼集会
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「記憶 反省 そして友好」の追悼碑第19回追悼集会が5月21日、群馬県教育会館大ホールで行われた。集会は「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」(守る会)が主催し、会場には93人の群馬同胞、日本市民が集まった。追悼集会後、「守る会」総会、ジャーナリストの安田浩一さんによる記念講演会が行われた。
碑は朝鮮人強制連行犠牲者の追悼を目的に2004年、県立公園「群馬の森」に設置された。2012年に碑前で慰霊式が行われた際、「強制連行」という言葉が使用されたと、排外主義団体が県に抗議を行った。その結果、県は「守る会」が行った碑の設置許可申請を不許可。「守る会」側は県の対応が違法だとし、民事訴訟を起こしたが、昨年、最高裁にて「守る会」の上告が棄却され、敗訴となった。
この日、追悼集会では、黙とうが捧げられた後、各団体代表らが追悼のあいさつを行った。
「守る会」共同代表の角田義一弁護士は、G7サミットにおいて、「日韓・日米韓の声明とかを見ると、軍事力による『対抗』しかなく、『対話』という言葉が一言も入っていない。朝鮮、中国を相手に戦争体制をつくるものだ」とし、それらに「はっきりと意を唱える」必要性を強調した。また、「関連諸国による対話によって朝鮮半島の平和を実現し、追悼碑に朝鮮・韓国の代表が共に献花する夢を実現できれば」と語った。
総聯群馬県本部・李和雨委員長は、哀悼の意を表した上で、「過酷な民族差別の中、強制労働現場や戦争等で亡くなったわが同胞たちは、紛れもない日本の植民地被害者たちである」と話した。また、昨年末に群馬県内のJR新町駅付近の公衆トイレの壁に朝鮮民族に対し殺意を表す落書きが見つかったことなどに言及。継続する民族差別の中、植民地支配の犠牲者に報いるため、「守る会」をはじめとする日本市民と力を合わせて、新たなる運動にまい進する決意を表明した。
あいさつの後、来場者による献花が行われた。
「守る会」総会では、弁護団事務局長の下山順弁護士が追悼碑をめぐる現状報告を行った。
最高裁の決定以降、県が自主撤去を求める書面を送付した後、「守る会」側はなんとか県との協議の場を3回設けたが、話は平行線をたどって終わったという。そして県は4月27日付で「守る会」に撤去及び現状回復命令書を送付。一方、「守る会」側は追悼碑の設置管理許可申請を5月12日に行った。
下山さんは再設置管理許可申請の根拠として、①都市公園法には「公園施設を設け、又は公園施設を管理」が条文上あるとし、管理の申請の形式で可能となること、②2012年、「強制連行」との発言が問題となったが、11年間碑の前で何も行われておらず、本来の日韓・日朝友好促進と市民の学習に資する機能を回復したという重大な事情変更が行われたこと、③東京高裁の判断は、「強制連行」という発言により、「本件追悼碑の設置期間が満了する平成26年1月31日の時点」において「中立性を失った」とあるため、2014年に行われた県の設置不許可処分についての司法判断でしかなく、一審の前橋地裁では「時の経過により…追悼碑本来の機能(②参照)を回復することもあり得る」とあり、司法判断との整合性もつくと説明した。
仮に設置管理申請に対する不許可処分が出た場合や県の原状回復命令に対する法的措置についてのべた。下山さんは、「希望をもって追悼碑を守る活動を進めて行きたい」と決意を語った。
「守る会」総会後の記念講演会で安田浩一さんは、各地で行われている歴史否定・改ざんについて言及し、「歴史否定の流れの中に、群馬の追悼碑があり、差別と偏見を伴った歴史修正の向こう側には虐殺と戦争がある。わたしたちの社会を差別と偏見で変えさせてはならない」と訴えた。
28日には、JR新宿駅前(東京)に市民有志たちが集まり、群馬の追悼碑撤去反対を訴え、抗議活動を行った。群馬でもこれまで高崎駅前や県庁前でスタンディングが行われており、市民らは批判の声を高めている。(哲)
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