現場を歩くということ
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1923年9月1日午前11時58分44秒。マグニチュード 7.9の巨大地震が関東一帯を襲った。
今年は関東大震災から100年を迎える。
同時に、当時の日本の軍隊、警察そして自警団による朝鮮人虐殺からも、その真相について政府が一向に責任を果たさぬまま、100年の節目を迎えてしまった。
このような節目の年に、各地でさまざまな取り組みが行われている。
フィールドワークや学習会、歴史を継承しようという若者たちの動きもある。
本誌でも連載「関東大震災100年 虐殺現場を歩く」および「関東大震災100年 語り部たち」を掲載中だ。
7月号に掲載予定の同記事のため、先日、東京都墨田区の荒川放水路河川敷に訪れた。
詳細は誌面を通して読んでいただきたいため割愛せざるを得ないが、取材後、とりわけ現場それも100年前に実際に同胞が虐殺された「現場」を歩くという意味について考えさせられた。
生々しい当時の証言とは裏腹に、そこは物静かで、晴れた日には子どもたちの遊び場となっている。小犬が散歩していることもある。かつて修羅場と化した線路の上には数多くの乗客を乗せてひっきりなしに電車が通っているーー。
不甲斐なさ、やるせなさを感じることしかできなかった。
取材の協力にあたってくれた一般社団法人ほうせんかの西崎雅夫さんは言った。
「現場に足を運ぶこと。下手にネットで調べるよりも、現場で直接みて、聞いて、感じることが何よりも大切なことです」
どうか実際に「現場」に足を運んでみてほしい。そして当時あった出来事について、思いを馳せてほしい。二度と同じ歴史が繰り返されないために。(鳳)