石川県へ。出張雑感
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昨日より石川県に来ている。
上野から金沢行きの北陸新幹線に揺られて約3時間、色々な思いにふけっていたのだが、「出張雑感」と題して、撮りためた写真と一緒に少しだけ綴ってみようと思う。
◇◇
取材現場行の移動手段はさまざまで、普段使いの電車やバス、飛行機やフェリーに乗ることもある。マストはやはり新幹線だろう。できるだけ窓際の席をとるようにしている。車窓から見える景色が好きだ。
今では「慣れっこ」になった上野からの乗車。何度ここから現場に向かっただろう。
東北行や上越行が頻繁になりはじめた時期は明確で、2021年2月、東日本大震災から10周年の現場ルポを執筆するため東北地方に出向いて以降だった。(朝鮮語版はこちら)
そして同じ年の4月、上野から上越新幹線に乗ってはじめて新潟に訪れた。
かつての祖国訪問の「玄関口」にどうしても行ってみたかった(私は船で朝鮮に行ったことがない)。それ以上に、困難を極める情勢下で総聯支部を再び立ち上げ上越の同胞トンネが息を吹き返したという知らせを聞いて、いてもたってもいられなくなった。その場の同胞たちに会いたくてたまらなかった。今考えると、よく言えば底知れぬ追求心に駆られていたというか、冷静に振り返ると、わがままも無茶もあったかもしれない。それでも信じて送り出してくれた当時の上司に感謝している。
かつては、たとえば自分の記事が多くの人に読まれることや、所為「スクープ」ばかりに目が行っていた時期もあった。でも、北海道から九州まで津々浦々、その地で、その現場で淡々と生きる同胞たちの「美しさ」を目の当たりにしながら、そんなことはどうでもよくなってしまった。多くの人が読んでくれることや「大スクープ」に出会えることも、もちろんうれしく思うが、届けたい人、届けるべき人たちにしっかり届く記事を書けたなら、そこにこそこの上ない幸せがあると思っている。
この考え方が良いか悪いかはわからない。実際、「まだ早い」と諭されることもあるし、今でも時々悩む(笑)。
とりわけ「上野乗車」をするときは、大切な気付きをもたらしてくれた同胞たちを思い出して、毎回、格別な感情を抱く。
1年、2年と歳を重ねるごとに、後輩たちがべらぼうに増えた。
新入記者たちも一人で取材に出向くことが増え、一生懸命、初出張に控える彼らの姿を見ながらこの私、いっちょ前に微笑ましい気持ちを抱いていたのはここだけの話。
後輩たちには何も気にせず、心の赴くまま、欲張りに羽を広げてほしい。行きたいところに行って、会いたい人に会って、「スクープ」にも飛びついて、有名になることにも貪欲になっていい。きっとそれは「今しかない」「尊い」気持ちであるから。
さて。そろそろ自分自身の出張の話に戻さなければ。
仕事で北陸地方に来たのは初めてだ。昨日は総聯本部委員長と前委員長と今日からの日程について打ち合わせをしたのだが、地域の実情について聴きながら、記者が現場に行く意味について改めて考えさせられた。
このブログがアップされる時刻には、約束している同胞宅にお邪魔していることだろう。
どのような出会いが、どのような気づきが待っているのだろう。
「上野乗車」した北陸新幹線の旅の結果は、8月号で確認いただきたい。
行ってきます。(鳳)