「アイゴー展」を訪ねて
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関東大震災から100年の節目にあたる9月1日まで、あと10日ほど。節目の年を迎え、日本各地で講演会や展示会、学習会などのさまざまな方法で、関東大震災時の朝鮮人虐殺について取り上げられている。
8月16日から20日にかけて横浜市民ギャラリーあざみ野(神奈川県)で行われた「関東大震災、100年ぶりの慟哭 アイゴー展」では、「100年近くもさまよう殺された朝鮮人、中国人、日本人を追悼するため」、韓国や在日コリアン、日本のアーティストたちが約40人集まり、作品を通じて関東大震災時の虐殺を伝えようとしていた。
筆者が会場を訪れたのは最終日の20日。最終の時間に近づいた頃だったが、人足が絶えず、作品をじっくりと眺める人びとがいた。また、実際作品を手掛けたアーティストたちが作品の解説もしてくれた。
参加アーティストの一人である三嶋あゆみさんは、ゆるい筆致で風刺漫画を描くアーティスト。話を聞くと、三嶋さんは京都出身で2009年の京都朝鮮学校襲撃事件に対する裁判の公判で、リーフレット作成を手伝ったことがきっかけで朝鮮学校と関わりを持ったという。「朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋」(こっぽんおり)の事務局メンバーで、京都の朝鮮学校に何度も足を運んできた。
三嶋さんは「100年の毒」という作品を通じて、「差別は過去から今にもつながっている」ということ、そして「さまざまな手段で差別を食い止めて、みんなで差別のない社会を作っていこう」という思いから作品を手掛けたという。
軽いタッチで描かれる作品だが、強いメッセージ性を感じた。
当時の状況を想像しながら、作者たちがそれぞれの作品をどのような意図で描いたのかをじっくり考えながら見ていくと、ある作品にたどり着いた。
「卵」だ。これはなんだろうと考えを巡らしたが、答えがうまく出せず、作者本人に伺ってみた。
正式な作品名は「割れやすいため取り扱いにはご注意ください」。在日コリアン3世で現在ソウルに在住している河専南さんが手掛けたこちらの作品は、生命と同じで、か弱く、簡単につぶれてしまう卵に、自らの「行き場のない思い」を表現したという。また、紙でできた卵は実際に触れることができ、「卵」を触ろうと来場者がひざまずくことで、犠牲者を追悼するような姿勢になるよう、低い位置に作品を設置したという。
―なるほど。「卵」に触れるとなにか、本物の生き物を触れているような感覚に陥った。これが作品の持つ力か。
今展示会で、特に印象に残っているのが、韓国の似顔絵作家のミン・ジョンジンさんが手掛けた「15円50銭」。
真ん中でうずくまる体には、背中から竹槍や刀が突き抜けており、流れ出る血をよく見ると遺骨が見て取れる。そして、手元には、現在の10円と5円が。作品を通して、いかに苦しい思いを抱いて亡くなったのか、被害者の「恨」の感情や当時の情景が思い浮かんできたと同時に、虐殺は今につながる問題だというメッセージが見て取れた。
同時に、そのようすは筆者自身の中である作品とつながった。
高麗博物館で展示されている画家・淇谷の関東大震災を描いた絵巻物だ。その中にも背中に竹が突きささり、苦しみながら亡くなった朝鮮人が見て取れる。
(イオニュースPICK UPで展示会について報じている→https://www.io-web.net/2023/07/kourai0705/)
高麗博物館が7月31日に主催し、「関東大震災から100年の今を問う~過去に学び、未来の共生社会を作るレッスン~」と題した講演会で徐京植さん(高麗博物館理事)は次のようにのべた。以下、朝鮮新報の記事から一部引用する。
「徐理事は講演中、『虐殺やマイノリティの権利に関する問題を考えることは、想像力の闘いである』と繰り返し強調した。(中略)徐理事は最後に、『他者の苦しみや怒り、恨みに対する想像力をいかに働かせられるかが鍵となる』と強調し、講演を終えた」(https://chosonsinbo.com/jp/2023/08/22-135/より)。
さまざまな立場の立場の人びとが自らの立場から「想像力」を働かせ100年前の虐殺と向き合っていく、そして歴史に「応答する」責任を果たそうとしている。アイゴー展を通じて歴史といかに向き合っていくべきか、筆者自身が改めて考えるきっかけとなった。
また、イギリスの歴史学者であるE・H・カーがのべたように、歴史とは「過去と現在の絶え間ない対話」である。「歴史」とは決して「過去」だけではなく、「現在」にも続くということ、そして実際にこの日本の地で、関東大震災時の朝鮮人虐殺が起きた土壌が今でも続いていることを改めて強調し、筆をおこうと思う。(哲)