劇団アランサムセ「노고지리~つばさ~」を観て
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劇団アランサムセ結成35周年公演「노고지리~つばさ~」を観覧した。本作は、アランサムセが2017年に上演した「つばさ」をリメイクした作品だ。私は初演の方も観ており、当時のイオでレビューを紹介していた。以下、あらすじの代わりに転載する。
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希望の言葉生み出してきた29年間の集大成(月刊イオ2017年4月号より)
舞台は公園。人生に虚無感を抱いている女が、探し物をしている男に出会うことから物語は始まる。男は「命よりも大切なもの」を探しているが、それが何かは分からないという。そのうち老人やマダムも登場し、それぞれに「桃源郷」や「来るはずのない列車」にまつわる不可解な話をしては肩を落として去っていく。
一見、支離滅裂なように哲学的なセリフが続くが、戯曲が書かれた時代背景を知れば引っかかりが得られる。原作は1917年に黄海道で生まれた李仁石の戯曲「つばさ」(73年作)。南北朝鮮が72年7月4日に同時発表した、「自主、平和、民族大団結」の3大原則を含む祖国統一に関する合意文書(7.4南北共同声明)に触発されて書かれたものだ。
男は、人々が困窮した生活を当たり前のものとして受け入れ、現状に飼いならされていることに気がつく。そして自らが探していたものを知る。
「つばさ! 翼を持つんです。その翼で力強く羽ばたいて大空高く飛ぶのです」
それは一人ひとりが持つ、統一への意志と希望―。
原作はここで幕を閉じる。
しかし、韓国でこの戯曲が発表されてから40年以上が経ったいまも朝鮮半島は分断されたまま。対立と亀裂はさらに深まり、声明の精神は忘れ去られようとしている。声明発表から45周年の今年、劇団アランサムセは物語に「その後」を書き足し、過去と現在をつなげた。
「現在」を象徴する女の絶望は当時よりもさらに深い。男は言い諭す。「あなたが生きているこの時代に、あのおじいさんもマダムも、もういない。そしてこのままだと、きっとこの先、誰も僕らのことを覚えていない時代がやってくる」。男は原作者その人だった。
ラスト、劇団アランサムセの歴代上演台本から引用された台詞が道しるべのように女の前に現れる。「自らで舵を取り、自らの意志を動力に、風を切り裂き突き進む」「全ての人が西に月を追いかける時、一人で東に向かう。彼には何もない。道は険しく暗い。しかし彼には熱い情と固い意志と信念がある。陽はいつでも東に昇るのだ」…
切実で力強い言葉の数々から、劇団アランサムセは現代の私たちの希望につながるメッセージを29年間一貫して発し続けてきたのだと分かる。女は、「何度でも作ればいい。希望も何もかも!」と歩きはじめる。
本作は、来年結成30周年を迎える劇団アランサムセの集大成ともいえる作品になったと言えるだろう。
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今回の「노고지리~つばさ~」では、ところどころの設定や台詞、そして終わりが変化していた。脚本と主演を担当した金恵玲さんは、この間にさまざまな価値観の変化があり、以前の脚本にあまり共感できなくなっていたという(アランサムセの稽古場インタビュー動画より)。
個人的な見方だが、「つばさ」はアランサムセの軌跡を描いて劇団の未来につなげるための作品だったとしたら、「노고지리~つばさ~」の方は、観ている人たちに「物語れ!」と呼びかけている作品のように感じられた。初演から6年の間に現実と分断はさらに進んでいる。
最後の場面、舞台上にはたくさんの紙切れが舞い散る。その一片一片に、忘れてはならない「私たちの言葉」が書かれている。同時に、無数の声も反響する。日常の何気ない一言、友を励ます言葉、会えない人を思う気持ち…。それらを手にしながら、主人公はまた一から物語を紡いでいくことを決心する。
その姿は、悲劇の歴史も含めた自分たちの存在が忘れ去られようとする現状に抗う、たくさんの見知った人々の姿と重なるように思えた。(理)