2024年新年号を作っています!
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早いもので、イオ編集部は2024年の新年号の制作に取り掛かっている。
哲さんは、2年前からつづく目玉企画「ioインタビュー」の取材で昨日から沖縄へ。
私は明後日の日曜日から、大阪の朝鮮学校の現場へ、編集長は来週から新連載の撮影に愛知へと向かう。
1月号と同時に2月号の特集の制作にも取り掛かり、久しぶりの料理特集の準備も進めている。
あわただしいが、新しいものを作っていくこの時期が好きだ。
イオ編集部はこの春、20代の新しい編集部員を3人迎え、若手の意見がストレートに行き交うようになった。
雑誌が読者に届く前に、編集部でいろいろな意見を戦わせることはとっても大切!!!
ときに緊張感が走る場面もあったとしても、いいものを作るための努力を惜しまず、
妥協をせず、新年号を作りあげたいという、互いの気持ちが相乗効果を生む。
先日も2024年に始まる新連載のタイトル、デザインを決める協議をした。
連載のタイトル、デザインイメージが趣旨を汲んだものになっているのか、読者にストレートに伝わるのか―。などなど。
結論が出ないこともあったが、コンセプトを少しずつ共有できていると思う。
来年こそは、料理の連載に動画を取り入れよう、web戦略をバージョンアップさせよう、販促用のチラシを作ろうという意見も出た。一つひとつ積み上げていきたい。
私は、2年越しの実現となった「13歳からの朝鮮入門」を担当することになった。
先日は筆者へ会いに、東京板橋区大山の東京朝鮮第3初級学校へ。この連載は、隣国朝鮮を知るための入門編のような読みもので、13歳以上の中学生を対象にしている。初回は、なぜ朝鮮を知るべきなのか―という問いかけから始める予定だ。
連載のトップバッターを引き受けてくれた、P先生は相変わらず忙しそうだったが、いつものように温和な語り口で連載の問題意識を共有することができた。
原稿の構想を語るその姿は、新しいことを始めるワクワク感に満ちていて、自分だけの思い込みでなかったことにホッとしつつ、完成までに気を抜いてはいけないと自身を戒める。
…自分が13歳の頃は、帰国した朝鮮の親戚と文通をしていました。
朝鮮語で一所懸命書いたのに、返事が日本語で拍子抜けしました。
…いつも実家には、朝鮮の親戚へ荷物を届けるための段ボールがあって。
…学校には、祖国から贈られてきた標本もたくさんありました…。
と思い出話に話を咲かせるPさん。
「その頃に比べると朝鮮は遠くなってしまいましたね。…それでも今の13歳が大きくなるころには、今より近くなっていてほしい。そういう希望を持っています」
よく考えると、私も2002年5月を最後に、朝鮮には足を踏み入れていない。
1972年に帰国した叔父にも長らく会えていないし、幼少期にたまに会っていた従姉もご無沙汰だ。会わないでいると関心も薄らぎ、自分の生活に埋没し、朝鮮ははるか彼方へと遠のいてしまう。
帰路、私たちの両親世代(2世)のように、きょうだいや親が帰国している場合は、「どうしているのか」と思い出すことも多いのだろう…と、どこか他人行儀な自分も客観視できた。
母方の祖母は、朝鮮戦争(1950ー53年)でみなしごになってしまったのだ。朝鮮と私は関係がないはずがない。
祖母の身に降りかかった悲劇を二度を繰り返させないためにも、私と朝鮮の関係をしっかり考え、次の世代に届く言葉で伝えていきたい。(瑛)