朝鮮人として生きるとは?
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近々、久しぶりにチマチョゴリを着る機会がありそうなのでクリーニングに出したほうがいいかと考えた。しかし洗い方が分からず色落ちなどしてしまうだろうか? いちど状態を見て、特に必要なさそうであれば除菌スプレーを数回噴射するだけでいいだろうか。
朝高生のときは、ハッキョのほぼ目の前にあるクリーニング屋さんに冬用のチマチョゴリを数回持っていった。見慣れているのか、お店の方は困ったような素振りを見せることもなく一般衣類同様に取り扱ってくれた覚えがある。値段は忘れてしまった。
ふとそんなことを思い出しながら、こちらが朝鮮人として生きているからこそ、それに対応したさまざまな関係も育まれていくのだと感じた。
過去にこのブログで「名乗りに応じた出会い」という文章を書いた。なにかしらの電話予約の際、本名(朝鮮名)である「黄」を名乗るとほぼ毎回訊き直されるため最近はずっと通名(日本名)を使っているといった内容だ。
そのときは「なんど訊き直されてももう少し伝える努力をしてみようかなと思った」と締めたが、やはり面倒に感じることも多く、結局通名を使うことが増えていた。
見ていると、夫はいついかなる時でも本名を名乗っている。義父がたまに使っている通名はあるものの、特にそれを用いることはない。生まれ育った環境や価値観の違いか。それが当たり前だからという感覚で生きている。
「楽さ」に流れてついつい通名を使ってしまう自分。しまいには現在の自宅近所にあるクリーニング屋さんにて、対面で会員証を作る際にも通名を名乗っていた。
そんな一連のことを追いながら、ああ、この地域で自分は日本人になっているのかもしれないと思った。
朝高生時代は、こちらがとりたてて意識もせず朝鮮人として生きているから、そしてきっと同じように生きてきた先輩たちがおり、最寄りのクリーニング屋さんにチマチョゴリを持っていっても何の違和感なく受け入れられた。それがその地域の日常になっていた。
加えて定期的に対外向けのイベントも開催し、訪れる人々にキムチ販売をするのがお約束になっていた。近隣住民にとって、ハッキョのキムチは待ち遠しい風物詩になっている。
「朝鮮人として生きる」という言葉は、ときにスローガンのように語られがちだ。しかし実際は、もっと暮らしと地続きの言葉なのだと気づいた。ありのままで地域の人と知り合い、互いに順応して、その地域特有のルールやコミュニケーションが生まれていくのだろう。
あるいは、可能な人からそうした試みを日常的に続けることによって、私たちのような「隣人」がいるのですよと啓蒙する役割も果たせるのかもしれない。
余談だが、父は普段、地元では通名を名乗っていた。周囲はみな我が家が「在日」であることを知っていたし、隠しているわけではなく、なんとなく使い勝手がいいから、くらいの理由だと思う。
そんな父が数ヵ月前に地元新聞で紹介された。内容は、地域で約60年続いた焼肉屋(我が家)が閉店するというものだ。目に留まったのは父の名前である。そこには本名が記されていた。
在日朝鮮人1世である親から継いだ店を閉じるという歴史の節目。おそらく本名を名乗ることに込めた思いがあったのだろう。次の帰省の際にゆっくり話を聞いてみたい。(理)