新たに増えた「呼び名」
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새해를 축하합니다(明けましておめでとうございます)
2024年度、最初のブログ記事です。
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今年の年末年始は地元・大阪への帰郷は事情があって取りやめになったため東京で過ごした。
特に元旦は、とても濃い時間を経験した。
私は昨年、結婚した。
今年は帰郷しないこともあり、31日は夫の実家へ泊まり、元旦には夫一家と제사(チェサ=法事)をした。
私の家族・親族は、元旦に큰아버지(クナボジ=父の兄)の家に集まってチェサをし、大人たちは夜中まで酒を飲んで賑わうことが毎年の恒例だった。
しかし、큰아버지が亡くなった以降は、큰아버지の家族、きょうだい、私の両親だけでチェサをするようになったので、かれこれ20年チェサに参加していない。作法はさっぱり忘れてしまった。
そして2024年、20年ぶりとなるチェサ。
私は最後に큰절(お辞儀)をしたのだが、間違わないか内心ドキドキだった(なんとか動作を頭に叩き込み、事なきを得た)。
結婚の「実感」は生活している上で否応なしに体感するが、特に思うことは、以前までなかった自分への「呼び名」が4つ増えたことだ。
「올케(オルケ)」「처남댁(チョナムテク)」「형수(ヒョンス)」「숙모(スンモ)」。
最初はその呼び名に慣れておらず「あっ私のことか」と反応が遅れた。
画像は女性側から見た呼称だ。
イラストの上には、「ウリマル(言葉)とウリクル(文字)は民族の魂。その心を永遠に継いでいきましょう!」と書いてある。
「義姉(ねえ)さん」のように統一していればなぁと内心思ってしまったが、呼び名で関係性がわかる・そしてチェサと同じように、民族の文化を守っていく意味では、受け継いでいかねば(覚えるしかない)。
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私が10代の頃に亡くなったスンモ。
九州出身で大阪に嫁いだかのじょは、掃除機をかける時、ダラダラと床に寝そべっている私たちきょうだいに向かって、いつも「のいて」と言っていた。
今でもそれを思い出しては時々真似をする。
思うと今の私は、生まれ育った地元から離れ、地方へ嫁いだかのじょと同じ立場なのだ。
あの頃「スンモ」と呼んでいた私が、시조카(シヂョッカ=旦那の甥)に「スンモ」と呼ばれる日が来るとは。
感慨深さもありつつ、不思議な気持ちにもなる。
ちなみに、人見知り発動中の시조카には、まだ自発的に「スンモ」と呼ばれていないが、両親に促され「しゅんも~」と駆け寄ってきた時はかなり嬉しかった。
かれが顔を覚えてくれ、自らそう呼ぶ日はいつになるだろう。(麗)