分岐点
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群馬の森朝鮮人追悼碑が県行政によって撤去されようとしている。緊迫した状況の中、『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会が1月20日に行った集会の内容はこちらを参照いただきたい。
県から行政代執行で追悼碑を撤去する旨の文書が届いたのを受け、本日守る会が記者会見を開いた。会見の詳細は、朝鮮新報のサイト(県が代執行強行を通知、“歴史修正を助長する暴挙”)から確認していただきたい。
なぜ過去の歴史に向き合い、友好関係を紡ごうとする碑が撤去されなければならないのか。
「碑文が反日的」(排外主義団体の主張)だから?碑の前で行われた追悼式で「強制連行」という「政治的争点に関わる一方の主義主張」がなされたことにより碑が「中立的性格」を失った(高裁判決)から?
「強制連行」という歴史的事実が一方の主義主張とみなされる。これまで歴史学的に検証されてきたことを否定したり、「価値観の対立」などとみなすことも、歴史修正主義に加担しているのである。
また強調しておきたいことがある。日本の植民地支配責任が問われている追悼碑撤去の問題を「日韓の歴史問題」として矮小化してはならない。朝鮮半島の北側、そして日本にも被害者とその子孫がいるにも関わらず、ましてやその民族の「離散」を生み出した根本的要因である植民地支配に対する批判無くして、現在の状況を見ることはできない。歴史否定の思想は「在日特権」などをはじめとする在日朝鮮人へのヘイトの連鎖にもつながっている。
それまで語ることができず口を閉ざしてきた日本軍性奴隷制度のサバイバーたちが証言をして以降、1990年代後半からはじまり、2012年に激化した歴史修正主義の潮流(いや、濁流というべきか)の中に立つ追悼碑。碑の存続を求める市民たちは「群馬だけの問題ではない。追悼碑の撤去は全国にある加害の歴史を知る追悼碑にも影響が及ぶ」と強調している。これまで筆者も強調していたが、まさに群馬の森追悼碑はそのような流れにおける「防波堤」の役割を担っているのである。
イスラエルの植民地主義を根源としたパレスチナに対する直接的、構造的暴力もさることながら、目下の日本では植民地支配のおける強制連行という歴史的事実を公権力によって改ざんしようとする暴挙が起きようとしている。パレスチナで起こっていることは、その意味においても対岸の火事ではないのである。
今、行政が植民地支配責任と向き合えるか否かの分岐点に立っている。(哲)