Y先生のこと
広告
私の実家は最寄りの朝鮮学校まで遠かったので、小・中は日本の学校へ通った。小学校中学年のころの担任はY先生だった。
最近、突然Y先生のことを思い出した。思い出した理由は忘れてしまったが、当時の、お腹が冷えるような恐怖感、今日は何も起こらなければいいのにという祈るような気持ち、そして同じような思いで集まっているであろうクラスメイトの雰囲気は次々とよみがえってきた。
Y先生(念のためイニシャルも変えている)の指導方法は恐ろしかった。何かしらの理由で怒られた児童は、クラスから無視される。Y先生がそういう空気を作る。
手順としては、Y先生が徹底的に当該児童を無視するところから始める。まず、謝罪を受け入れてくれない。Y先生のいるところまで行って反省しようとしても、顔も合わせない、どうしたらいいかも示さない。
そして、Y先生が「皆さん、この子を無視しましょう」と言ったわけではない(はずだ)が、周りのクラスメイトもなぜか怒られている児童には声をかけられない心理状態になっていた。
Y先生の行動が不可解すぎて、自分も同じようにされたら辛すぎるという共通した思いがそうさせていた。
そう、怒られる理由も不可解だ。同級生に暴力をふるったとか、備品を壊したとか、そういうはっきりと児童に非のある状況で怒るのではない。理不尽な、完全にY先生の虫の居所が悪いから言いがかりをつけているのではないか?という風に感じたことも記憶に残っている。
どうしてここまで詳しく覚えているかというと、私も何度かターゲットになったからだ。怒られた理由もいまいち分からない(なので忘れてしまった)、でも明らかに表情とその後の態度が変わるので話し合いのために休み時間にY先生のもとへ向かう、しかし無視される、終日その態度を貫かれる。
ここはうろ覚えなのだが、教室内で物理的にも同級生と距離を取って机を置くよう言われたような気もする。当時の心細さがそうした記憶に変形しているのかもしれないが。
無視は1日の終わりに解除されることもあったし、2日以上続くこともあった。身体は縮こまり、呼吸は浅くなり、どんどん自分への自信がなくなっていく。
しかしどうにかしないといけないから、泣きながらY先生のもとへ行く。そうするとようやく「解除」される。表情で分かる。やさしい表情になり、「お許し」が出たのだと分かる。
泣けば一発で解決、というわけでもない。実際、泣いてY先生のもとへ行くがお許しをもらえず、泣きながら席に戻る子もいた。延長戦だ。
いま考えると、やばすぎて笑いが出るし、こんなこと本当にあったか?とも思うが、Y先生が担任の時にしばらく登校拒否になった子がおり、その原因がやはりY先生のそうした部分にあるんじゃないか、というような話を母から聞いたことも覚えている。
では、親たちはどう感じていたのだろう? 上記の記憶があるから、私の親だけでなく他の親も当然Y先生の特殊な指導法について知っていたはずだ。それでもY先生は別に処分されることはなかったし、私たちのクラスの担任を終えた後も学校にいた。
***
オチのある話ではないのだが、長らく忘れていたのに、ふと思い出すとその時の冷や汗や苦しさまでぶわっとよみがえってきたので、きっと書いて昇華したかったのだろう。
ちょっとしたトラウマになる人もいるよなあ…と思う。当時、繊細がゆえに耐えられず登校拒否をしたあの子はいま元気だろうか。(理)