虫の知らせ
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それは「虫の知らせ」だったのかもしれない―。
父方の親戚が亡くなった。叔母さん(叔父の配偶者)だった。
平均寿命からしてもだいぶ若くして亡くなってしまった。
「連絡ください、急用」
母親からのLINE。
「急用」「至急」「すぐに」、家族からのこういった連絡は悪い知らせ、あるいは「面倒」なことだと相場は決まっている。とくに母からの「急用」は、これまで「救急車で病院に運び込まれた」とか「緊急手術」とか命にかかわるケースもあったので、「急用」の二文字にどきっとした。
「〇〇さんが今朝亡くなったって」
叔母とは長らく会っていなかった。15年ほど前までは年に1回、正月に父方の親族が父の実家に集まっていたが、それがなくなってからは自然と疎遠になってしまった。疎遠といっても、仲が悪くなったわけではなく、叔父の家族にはたくさんお世話になっていたこともあり、会えばいつも久しぶりという感じはしなかった。
亡くなる少し前、何の脈絡もなく、父方の田舎の風景と、そこに住む故人やそのほかの親族の顔が懐かしさとともに思い浮かんだ。よく歩いた街並みがいまどうなっているか気になって、スマホで検索してみた。
「みんな元気にしてるかな」「今度、仕事で近くまで出張する機会があったら寄ってみよう」
まさか、そのすぐあとに、身内の葬式でそこへ行くことになるとは思ってもみなかった。
7年ぶりに対面した叔母はひつぎの中で眠っていた。
人は必ず死ぬ。遅かれ早かれいずれ死ぬ。この真理を、人の葬式に出席するたびにいやがおうでも実感するのだが、年をとればとるほどそれがより現実味をもって迫ってくる。「自分もいずれこうなるのだな」と。
叔母の家の近くに桜の名所がある。次にいつ来られるかもわからない。
「葬儀が終わったらちょっと寄ってみよう」。そんな願いを裏切るように、空は朝からどしゃ降りの雨模様。花見どころではなかった。
冒頭の写真は、都内某所で撮影した桜。(相)