102歳の祖母のことば
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3月下旬、102歳の祖母・ハンメ(祖母・ハルモニの方言)に会いに京都の施設を訪れた。祖母にとって私は初孫で、幼いころから年子の弟とともにたくさんの愛情をかけてもらった。
共働きで東京に身寄りがいなかった両親は、夏休みになると1ヵ月ほど京都や母の実家の三重に私たちを預けながら仕事を続けていた。その時に親戚のアジェ(叔父さん)たちに山や川に連れていってもらい、年上のいとこたちもよく遊んでくれた。この時があったからこそ、今でも親戚たちとたまに会って楽しく過ごせることをありがたく思う。
祖母は、20年前に祖父が亡くなった後、息子、娘の支援を受けながら長く一人暮らしをつづけていたが、数年前に自転車事故に巻き込まれ大腿骨を骨折。一人暮らしが難しくなり同胞系の介護施設に世話になった後、施設に入ることになった。
幸い近所に暮らしていた1世のHさんも入所し、話し相手に事欠かない。
数ヵ月ぶりに再会した祖母は、「ここでは誰にも迷惑をかけず暮らせる。ごはんも悪くない」と満足気だった。一方、「〇〇がなかなか迎えにこーへん」と5年前に亡くなった父の名前を出すのが常だ。
京都ことばがまじった朝鮮語、時折毒が入る話法が祖母ならではの個性で、若い孫たちともソツなく会話ができる気の若さも魅力。過去の記憶も飛び飛びだが、私の名前はしっかり憶えていてホッとした。
在日朝鮮人1世は、今、日本に何人残っているのだろうか―。
再会した後、ハンメたちの「ことば」を自分の中に「しっかり留めたい」という気持ちがわいてきた。
最近、縁あって母方の祖父母一家の家族史の本づくりを手伝っているのだが、生前、ウェハルモニ(母方の祖母)が話していた朝鮮語が書かれていて、背の小さいお茶目なハルモニが目の前に立ちあがってくる。
モッコサラヤジ(먹고 살아야지/食べていかねば)
トワジュオヤジ(도와주어야지/助けてやらなければ)
ペウォヤジ(배워야지/植民地になった歴史を学ばなければ)
ピョンジスラ(편지쓰라/手紙を書きなさい)
クンボヌル アラヤハンダ(근본을 알아야 한다/根っこを知らなければいけない)
母がよく聞いた祖母、祖父のことばたち―。
学校に一度も通えなかったウェハルモニの口癖は、ペウゴチプタ(배우고집다/学びたい、慶尚道の方言)、祖父母が共通して話していた言葉は「통일되면(国が統一されれば)」だったという。
日本の植民地支配への想像力がどんどん失われていく日本の社会でこそ、私たちは一世の思いが詰まった「ことば」を聴きつづけ、残していくべきなのだろう。
祖父母の家族史が書かれた本「ポッタリ一つで海を越えて」(小泉和子編著)は、6月に合同出版から刊行予定だ。(瑛)