4・24民族教育闘争76周年を記念するマダン
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4月24日、4・24民族教育闘争76周年を記念し「今、再びその日を称え、心に刻むマダン」(以下、マダン)が青山霊園(東京都港区)の「無名戦士の墓」の前で行われ参加してきました。
あいにくの雨模様でしたが25人の人たちが参加しました。
無名戦士の墓には、1948年の4・24民族教育闘争の時に警察隊の銃弾により亡くなった金太一さん(当時16歳)と当時在日本朝鮮人聯盟兵庫県本部委員長で獄中闘争を繰り広げた朴柱範さん(49年11月に死亡)らが合葬されています。
マダンは、二人を追悼しこれからも在日朝鮮人の民族教育を守り発展させる決意を表明する場となりました。
黙とうをささげた後、3名の方の貴重なお話がありました。
田中宏さんは「4・24の前後左右について」と題してお話されました。45年8月15日以降、日本政府が朝鮮半島の分断と世界の冷戦体制への移行という歴史的背景の中で、民族教育をいかに弾圧していったのかが語られました。
梁玉出さんは「4・24の実相」と題して教育闘争に直接参加したアボジ・梁相鎮さん(故人)の体験を語られました。アボジの実際の戦いの模様や朴柱範さんとのかかわりなど、非常にリアルで重厚な話に参加者は聞き入っていました。そして民族教育への弾圧は今まで一貫して続いている、朝鮮学校を守ることは朝鮮人との魂を守ることだと強調しました。
最後に梁大隆さんが「刻むマダンに毎年参加して今、思うこと」と題して話をされました。このマダンが2013 年に始まり最初から参加してきたとしながら、この場での交流により仲間がふえたと振り返り、日本人との連帯の大切さについて訴えました。
このマダンは金日宇さんが企画し2013 年4 月24日にスタートさせたものです。私も当時、参加しました。
金日宇さんは「民族学校の歩みをたどり、ウリハッキョの今を探る」をキャッチフレーズにした隔月刊誌「朝鮮学校のある風景」(2010年12月~19 年7月)を、また『私たちの東京朝鮮第3初級学校物語』(ともに一粒出版)など朝鮮学校関連の書籍を編集・出版するなど、民族教育の発展のために尽力してこられました。
2019 年10 月に金日宇さんは亡くなりましたが、現在は朝鮮学校「無償化」排除に反対する連絡会が引き継ぎマダンを行っています。
私にとってこのマダンは在日朝鮮人にとって民族教育がいかに大切なものなのかを再確認するものであると同時に、金日宇さんとの思い出を振り返り追悼する場となっています。(k)