「浮島丸」乗船者名簿開示が物語るもの
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日本による朝鮮半島植民地支配からの解放直後の1945年8月24日、祖国へ帰ろうとした朝鮮人ら数千人を乗せた旧日本海軍の輸送船「浮島丸」が爆発・沈没した。「浮島丸」事件として知られる。
日本政府の発表によると、乗船者は朝鮮人3735人、乗員255人、死者は乗客524人、乗員25人。犠牲者氏名が記された死没者名簿も存在するが、政府は乗船者名簿は「ない」と言い続けてきた。
しかし、この時の乗船者の名簿がこのほど見つかった
浮島丸乗船者名簿の存在を突き止めたのは、ジャーナリストの布施祐仁さんだ。共同通信の記事によると、布施さんが厚生労働省に浮島丸関連文書を開示請求した結果、いくつかの「名簿」と名の付く文書があることが分かった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4f1ce3063fce36a9596bc530b536dc729e380804
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ea84296789b07746d3651507528e565a45ded9c
記事によると、このたび開示された名簿は、海軍や企業が作成したとみられる3種類。しかし、名簿にある氏名、生年月日、職種などはすべてマスキングされているか黒塗りで、詳細を確認できない。
日本政府が長年「存在しない」としていた資料が政府内から見つかったのだから大きなニュースだ。
しかしここで当然の疑問が沸き起こる。なぜ、これまで公表してこなかったのか―。そもそも、乗船者名簿がないのにどうやって死亡者を特定したのか。
ないとされていた名簿が、あったということではないのか。共同通信が厚労省に疑問をぶつけたところ、次のような回答が返ってきた。記事から引用する。
「乗船者名簿とは、戦前の商法により『乗船の際に作成し船に備え置くもの』と規定されています。それは沈没とともに失われているので、乗船者名簿は存在しません」
では、今回開示されたものは何なのか。
「開示したものは、事件後に何らかの調査を経て作成された名簿。表題は同じだが作成時期が違い、別物です」
浮島丸訴訟では乗船者名簿と「それに類するもの」を請求していた。これは違うのか。
「訴訟で原告側が政府に請求したのは、あくまで乗船の際に当時作成された名簿を指しています。乗船の際に作成され船に備え置くものが乗船者名簿であり、それは存在しないため、それに類するものもありません」
厚生労働省は5月31日、衆議院外務委員会で共産党の穀田恵二氏の質問に対し、乗船者などの「名簿」と名の付く資料は「おおむね70くらいある。精査し対応する」と答弁した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c1613bd7b1dedb2366553e1deed7cc9e62a0100a
事件から来年で80年になる。記事の中で布施さんは、「事件は、日本による朝鮮半島の植民地支配と朝鮮人の強制動員がなければ起きなかった。日本政府には説明責任がある。黒塗りではなく、名簿を含む関連文書を全面公開すべきだ」と主張しているが、まったくもってその通りだろう。(相)