デジタル教科書から見る
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「デジタル教科書 今春本格導入 『学び』は変わる?」―先月末に読んだ新聞記事(8月26日付『朝日新聞』朝刊2面)のタイトルだ。日本の学校における「デジタル教科書」の本格導入、実際のようす、課題などについて綴られていて興味深く読んだ。
記事を読みながら今年7月、取材でお邪魔した九州朝鮮初中高級学校の高3生徒たちの授業風景を思い出した。英語の授業。生徒たちはタブレット端末を一人一つずつ手にし、デジタル教材を使っていた。その時使用していたのは一般的に世に出回っているクイズアプリだったが、時代を感じたのを覚えている。他の授業でも利用され、生徒たちは端末を使いこなしていた。同校教員に尋ねたところ、高3生徒たちは中級部に入学した2018年には既にタブレット端末を揃えていたという。
私が編集部に所属する少し前に発売された本誌昨年4月号では「見せます! 朝鮮学校のデジタル教科書」と題した特集を組んでいる。改めて読み直したところ朝鮮学校のデジタル教科書は「14年に導入が決まり、17年の試験期間を経て18年から導入」とあった。前掲の新聞記事を見ると日本学校では、「文科省の有識者会議が16年に正式な教科書として使えるように提言した。学校教育法が改定され、19年度からは紙に代えて(デジタル教科書が)使えるようになった」と書かれている。朝鮮学校の教育、教科書編纂に携わる方々の先見の明と努力に頭が上がらない。
また今回、興味深い違いを知れた。前掲の記事や類似した記事を見たところ、日本学校でのデジタル教科書の導入科目は英語からはじまり算数・数学と続いているのに対して、朝鮮学校のデジタル教科書は初級部高学年の国語(朝鮮語)、図画工作、音楽で順次導入・使用されている。どちらも言語の教科から導入されているが、朝鮮学校、民族教育においてウリマル(朝鮮語)がいかに重要な位置を占めているのかがわかる。そして、デジタル教科書を通じて、そのウリマルを主体的に学び、実際にそれを武器にして活躍する人もさらに増えていくことが期待される。はっきり言って今の子たちをうらやましく思う。
今のウリハッキョの教育は現場で奮闘する教員や関係者たちによってめまぐるしい発展を見せている。「昔」の尺度では測れない、朝鮮学校の魅力に改めて気づかされた。(哲)