虐殺から101年目の現在地
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関東大震災時の朝鮮人虐殺から101年が経過した。本誌10月号でも関連した内容を掲載しているのでぜひチェックしていただきたい。
1世紀、どれだけ長いことか。日本政府による真相究明や謝罪も無いこと、虐殺を否定する論説が公によって行われること、虐殺当時から真相究明は在日朝鮮人当事者と良心のある日本市民らによって行われてきたことを常に認識する必要がある。
今年は、千葉県で行われた朝鮮人犠牲者追悼式において初めて県知事が弔電を送付、埼玉県で虐殺された姜大興さんの追悼式典に大野県知事としては初めて追悼文を送付(※)した。肯定的に捉えつつも、行政の本来あるべき姿を示したという意味では、これが「特別視」される現在の状況が異常だと思う。(※)埼玉では一方で、熊谷市、本庄市、上里町の自治体主催で行われた朝鮮人犠牲者追悼式には県知事の追悼文が送付されなかったことに留意したい。
千葉県で在日朝鮮人アーティストらが中心となり推進してきたプロジェクト「百美+(ひゃくび)」が主催した美術展(8月27日〜9月1日)では虐殺された一人ひとりの生に思いを馳せる場となった(詳報は本誌10月号に掲載)。
美術展会期初日に訪れていたアーティストの飯山由貴さんは、プロジェクトの魅力に触れつつ、こう話した。「(虐殺と関連して)政治家の言説ベースで考えるとその行い自体に対しておかしいという言葉の使い方をしてしまうが、追悼文を送らないことや記録を否定する人たちがしていることは何かと考えた時、それは過去の植民地支配の否定であり、植民地主義の肯定でもある。それにはっとさせられた」。
「百美+」の美術展では趣旨文において、日本の植民地主義を直截的な言葉で批判すると同時に、現在日本が経済的・外交的にイスラエルに加担している原因を、「自身の植民地主義的な姿勢を省みず、朝鮮人差別を解決してこなかった」ことに見ていた。
われわれ在日朝鮮人は、同じく植民地支配の痛みを知っているからこそ、パレスチナ人の痛みに、今起きている虐殺にも敏感でなければいけない。そして、朝鮮に対する植民地支配がなくともこの国で植民地主義が霧散したわけではない。
美術展会期初日(8月27日)、はしごして向かった東京・新宿区では、在日コリアンと日本人の大学生が虐殺の忘却と朝鮮人差別に抗いデモ行進を行っていた(主催=トルパプロジェクト)。
そこに近畿地方から参加していた留学同のある学生は昨年、虐殺100年に際して大学の学園祭で虐殺と関連したポスターセッションを行った際のことを話してくれた。学生たちが真剣に見てくれた一方で、「日本に差別なんてない」と発言し、ポスターに対して批判的に見た人もいたという。「100年以上が経ち、虐殺を直接見聞きした世代はほとんど残っていない。今の若い世代では無関心から差別が生まれる」。
そして、101年目の路上。デモ行進をしていた時、歳のいった男性がデモ隊に向けて「死んでしまえ」と吐き捨てていた。取材をしていた私自身も耳にしたし、学生たちの間でも耳にした人がいた。
それでも前述した留学同の学生は「虐殺された人びとに連なる在日朝鮮人として灯火を消さない」ことをあげ、「自らが忘却せずに学び続けたい」と前を見据えていた。
「高校無償化」制度からの朝鮮学校排除、白昼堂々行われた在日コリアンに対するヘイトデモ、ウトロ放火事件、「群馬の森」朝鮮人追悼碑撤去…。いくら取り繕っても虐殺が起こった100年前からその土壌は変わっていない。「植民地主義という『地金』がむき出しになった」(徐京植)この国で、新たな未来を創造するためには、「未来志向」として過去に目を閉ざすのではなく、それぞれの立場から歴史に応答していくしかない。(哲)