坑口を開けた! 長生炭鉱水没事故、82年の暗闇に光を
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「坑口あけたぞ! 82年の闇に光を入れる集会」(主催=長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会)が10月26日、新たに「坑口ひろば」(山口県宇部市)と名付けられた場で行われた。当日は在日同胞、「刻む会」のメンバーをはじめとする日本市民、日本在住の日本人遺族、朝鮮人遺族、そして韓国から訪れた遺族ら250人が集まった。
宇部市の長生炭鉱では1942年2月3日、海岸から約1㎞離れた坑道の天盤崩壊により海水が浸入し、坑内労働者183人が犠牲となった。そのうち136人は日本による植民地支配下の朝鮮半島から渡ってきた労働者だった。ゆえに、地元で「朝鮮炭鉱」とも呼ばれていたという。炭鉱経営者は坑道を封鎖し事故を隠ぺいした。
日本による戦争政策の結果、起きた事故だが、82年が経った今でも日本政府は遺骨調査に乗り出しておらず、これまで「刻む会」をはじめとする日本市民、そして伴走してきた「山口県朝鮮人強制連行真相調査団」をはじめとする在日同胞によって調査、追悼行事や碑の建立が行われてきた。そして「刻む会」が今年2月3日に宣言していた通り、年内に市民の力で坑口を開けた。本日、29日から潜水調査も予定されている。一刻も早い遺骨の返還に向けて大きな前進となった。
詳報は本誌12月号に譲るとして、本日のブログでは当日のようすを写真で紹介したい。
チェサ(祭祀)の際、「アボジ―!」と坑口に向かって叫ぶ遺族、じっと手を合わせ、目を赤くしながら坑口を見つめる遺族…。それを見守る人びとからもすすり泣く音が聞こえた。(哲)