ハッキョへの道
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ハッキョ(朝鮮学校)へ行く道はどこか心地がいい。
新たに行くところであれば、まだ見ぬ校舎に胸躍らせる。電車があまり通っていなくとも、最寄り駅から2、30分であれば歩くことが多い。その土地の風景を眺めながら行くのがまたいい。
そんなことを考えながら9月某日、長野朝鮮初中級学校(松本市)への道を歩いていた。一帯に広がる畑を横目に歩いていると、ふと朝鮮学校初級部の頃を思い出した。私が通っていた学校からの帰り道、季節によってきれいなツツジが咲いているのだが、物知りな同級生に誘われ、何回か花の蜜を吸ったことがある。味なんか覚えていないが、今思えば、友人たちと何かを共にするという行為がただ楽しかった。※レンゲツツジなど有毒な成分が含まれている花もあるため、見分けがつく場合以外は控えたほうがいい。
私が通った学校では中級部から自転車通学が可能だった。中級部になり、当初は新しさに飛びついたが、自転車だと友人たちと通学路が違っており、結局、電車通学にまた戻したのを覚えている。
そんな日常は往々にして非日常に変わる。情勢が悪化するたび、すなわち朝鮮民主主義人民共和国に対する日本政府の明確な敵対政策の下、マスメディアが朝鮮に対する「悪」のイメージを喧伝するたび、集団下校を強いられた。
在日朝鮮人が日本の植民地支配の結果生まれた歴史の生き証人であるがゆえに、その「不都合な」歴史を消したがる人たちは何かしらの因縁をつけては朝鮮学校と在日朝鮮人を狙い撃ちした。朝鮮学校を国家権力が閉鎖に追い込み、強制捜索をかけ、今ではそれが難しいとなるとあらゆる補助制度から除外することによって朝鮮学校を徹底的に排除、在日朝鮮人の民族教育権を侵害してきた。そして、公による「扇動」により排外主義者は「朝鮮学校に対してなら何をしてもいい」という言質を得た。
特定の属性や民族への憎悪に基づく犯罪、ヘイトクライム。約15年前の2009年12月4日、京都朝鮮第1初級学校(当時)に「在日特権を許さない市民の会」をはじめとする排外主義団体のメンバーが白昼堂々と襲撃をかけた。今年は襲撃事件の民事訴訟での原告勝訴判決が最高裁で確定してから10年になる。あれから何が変わり、何が変わらないかもまたじっくり見つめたいところ。
2年前には朝鮮のミサイル発射に対する全国瞬時警報システム(Jアラート)が発令され、朝鮮学校に通う児童・生徒たちに対するヘイトスピーチ・ヘイトクライムが起きた。少し後に教育実習生として朝鮮学校にいた私は、サンペンマークの入ったカバンは危ないとマークのないカバンを使う生徒たちを見た。なぜ朝鮮学校の子どもたちが自らの存在を隠さなければいけなくなるのだろうか。
「君たちは間違ってない」―ウリハッキョに通う子どもたちには繰り返し伝えたい。底の抜けた社会で在日朝鮮人とともに抗い、朝鮮学校とともに歩む人びとはたくさんいる。現在試写会が行われている朴英二監督の最新作『声よ集まれ(소리여 모여라)』もまた、そのことを示してくれるだろう。
ハッキョへの道にまき散らされた吐瀉物のようなヘイトスピーチも言葉であるが、ヘイトの被害者の救いとなるのもまた言葉である。朝鮮人としての民族的アイデンティティを揺るがすようなこの日本社会において、朝鮮学校が在日朝鮮人をやさしく包み込む場所であるように、私もそっと手を差し伸べるような言葉を紡いでいきたい。(哲)