権利を叫ぶことの「自分ごと」化
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3年ほど前から居住地域の女性同盟に加盟している。その時々で感じたことを、日刊イオでも紹介してきた。
女性同盟は都道府県ごとに本部・支部・分会コミュニティがある。私の居住地を例に挙げると、まず神奈川県本部があり、そのなかで川崎、横浜、南武、神港…など市や区域によって支部が分かれ、さらに支部内の地区ごとに分会が置かれている。
私は2022年から支部の役員になっているため、年末にはその年の総括に参加する。何人の対象者と会って話せたか、新しい加盟員は何人増やせたかなど数字的な振り返りをしたあと、各々が活動について振り返る。
そこで話題にのぼったのは毎月一回、神奈川県庁前で行われている「月曜行動」についてだった。2016年、神奈川県は朝鮮学校への補助金支給停止を決定。翌年、県庁前でスタンディングしながら差別反対を訴える月曜行動が始まり、県内外の人々が声をあげて場を守り続けてきた。
「権利闘争が長引きすぎて、補助金が支給されない状況が通常だと思い込んでしまっている」
「月曜行動の様子を写真に撮って同胞たちに送っても、『お疲れね』という言葉で終わってしまう」
「みんなが自分ごとにしないと」
「考えるきっかけが一人ひとりに芽生えたら変わる」…
次々と意見交換する先輩役員たちの言葉を聞きながら、正直、自分のことだと思った。神奈川に暮らして5年。一度でも県庁前に足を運んだことがあっただろうか。仕事を調整して向かう現役保護者もいる。反省の念しかなかった。
年明け最初の月曜行動は2月3日。来年は自分も参加しようと決めた。その瞬間、本当に単純で偉そうな態度なのは重々承知なのだが「どうしたら他の人にも参加してもらえるだろう」と途端に「呼びかける側」としての意識が浮かんできた。来年は現場で、集まる人々と一緒にこの課題についても考えようと思った。(理)