この声を無視させないために
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2月3日、神奈川県庁前で行われている「月曜行動」に参加した。月曜行動は、県下すべての朝鮮学校への補助金支給停止を決定した神奈川県に抗議する目的で、2017年から月に一度のペースで続けられている。当時の朝高生たちが中心となって発起したものだ。
私は2019年から神奈川県に居住しているにもかかわらず、これまで月曜行動に足を運んだことがなかった。昨年末、居住支部の女性同盟常任メンバーたちと年間総括をしている時に自分の無関心さに気づかされ、2025年は参加しようと決めたのだった。
※その時のことを書いたブログ:権利を叫ぶことの「自分ごと」化
時刻は15:00。県庁前には朝高生ほか、女性同盟の方たちやたくさんの日本人支援者がずらりと並んでいた。今回は、卒業を目前に控えた高級部3年生たちが全員かけつけ、さらに後ほど1、2年生も合流するとのことだった。
さっそく高3生徒が一人ずつ前に出て、マイクを手にスピーチを始める。
後ろに皆が控えているとはいえ、こんな大きな建物を前に一人で声をあげる心境はどのようなものだろう。
「高校入学から今日までの3年間、ずっと月曜行動に参加してきました」
「僕たちが何かしましたか? 誰かを差別しましたか? 僕たちが嫌いですか? 毎日このような怒りでいっぱいです」
「はじめはやりたくないことをやらされている気分でしたが、不公平を正そうとする先輩たちの真面目な姿を見て…(中略)自分も公平な社会になるまで声をあげ続けます」
「差別や偏見は当たり前のことだと思っていました」…
それぞれ実感のこもった言葉で、自分たちの現状と願いをまっすぐにのべる生徒たち。その背を支えるかのように大きな声でシュプレヒコールを上げる同胞、支援者。
しかし悲しいかな、約40分のアクション中、少なくない人たちが県庁を出入りし、また参加者の前を横切ったが、月曜行動の声はまったくと言っていいほど受け止められていないように感じてしまった。
いっさい耳に入っていない、あるいは入れようとしない、完全に他人事だというような顔。あるいは気まずそうな、ときに嘲笑かとも思われるような微妙な笑み。誰も振り向いてくれず、ここでも完全に“いない”ように振る舞われている。私の目にはそのように見えてしまった。怖かった。
仲間たちとはその場を共にしているけれど、聞いてほしい当の相手からは一絡げにされたうえで無視され、空中に声を飛ばす日々。そんな状況で代を継ぎながら丸7年以上も諦めずに声をあげてきた、そのことを思うと改めて胸が痛んだ。
「どうかこの声を無視せず、耳を傾けてください」
それでも生徒の声は響いていた。
どうしたらいいのだろうと考える。県庁まわりの人たちがこの声を聞こうとしないのは自己防衛なのだろうか。実際、私はあまりにも反応のない人たちを見て怒りが湧いたし、下手するとその人たちが「敵」に見えてしまうところだった。当然のことながら、別に相手は敵ではない。ただ、現行の対応によって朝鮮学校で学ぶ生徒たちの権利を奪っているわけで、それに抗議するアクションだから対立する関係性ではある。
本当はただ対等に、この社会で共生したいだけなのに。県庁側の、月曜行動に対する姿勢は硬直してしまっている。完全に思考停止だ。
止まった動きを揺さぶることはできないのだろうか。例えば、川崎出身で朝鮮半島にルーツを持つラッパー・FUNIさん(神奈川中高で特別講義もしている)がリズムに乗ってラップで思いを伝えたら、物珍しさについ耳を傾けはしないだろうか、などということを勝手に考えたりもした。
次回の月曜行動は3月3日、15:00から。この声を無視させないために、自分には何ができるだろうかと、これからも参加しながら色々な人と言葉を交わし、考えていきたい。(理)