たとえ少なくとも集まれば
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3月3日、神奈川県庁前へ行ってきた。今月の月曜行動に参加するためだ。みぞれまじりの冷たい雨が降りしきるなか、バスで現地へ向かう。スカート制服を着ている生徒たちは大丈夫だろうか…と考えながら県庁前に着くと、朝高生が参加する日ではなかったようでホッとした。
15時の開始時間に集まったのは、同胞・日本市民あわせて11人。現在、国会では高校授業料無償化拡充に関する議論が進んでいるが、朝鮮学校は依然として蚊帳の外だ。こうした現状への認識も共有した上で、参加者たちは改めてじっくりと思いを語った。
「私はあなたたちに怒りをぶつけに来ているのではありません。あなたたちと対話をしたいのです。差別に染まった日本社会を変えるのはあなたたちなんです」
参加者の中には、2月15日に川崎朝鮮初級学校で開催された「かながわの朝鮮学校交流ツアー」に足を運んだという方もいた(同ツアーの詳細はイオ4月号で紹介します)。
「“多文化共生”というスローガンだけ掲げてもダメなんです。自分の目で朝鮮学校を観ないと。お金がないとか、県民の理解が得られないとかいうのは嘘っぱち。ただただ差別を温存し、助長しているだけだと言わざるを得ない」
発言が続くかたわら、一人また一人と参加者がやって来て、最大17人がともにシュプレヒコールを上げた。
人数は前回より少なかったものの、人が集まるとやはり新しい出会いやつながりが生まれるものだ。この日は東京朝鮮第6初級学校(大田区)を支える市民団体「だいろく友の会」の活動をしている方が駆けつけたのだが、かつて同校に通っていた同胞も偶然その場に居合わせたのだった。
神奈川朝鮮中高級学校の保護者OGでもあるその同胞は、「自分の子どもの頃を思い出した」としながらマイクを取り、県庁舎に向かって語りかけた。
「私は、小学校4年生まで自分が在日朝鮮人だと知らずに育ち、日本学校に通っていましたが、親の意向で朝鮮学校へ行くことになりました。そうして初めて、日本の人たちが朝鮮人に向ける視線、言葉、扱いを感じるようになり、それが差別という重い荷物なのだと知りました。
しかし同時に朝鮮人である目覚めというか、希望というか…そうした自信を朝鮮学校で得て、心のバランスが取れるようになりました。昨日、高級部3年生の卒業式がありました。私たちは『朝鮮人だから特別に何かをしてほしい』と言っているのではありません。子どもたちに変わりなく学ぶ権利を与える。それが社会の温かさなのではないでしょうか」
寒さに耐え、全員で40分強のマイクアピール。今回も向こうからの返答はなかったが、参加者たちは引き続きそれぞれの場所で行動していこうと約束を交わし帰路についた。
次回の月曜行動は4月7日(月)15時から。来月はいくぶん暖かくなっているだろうか。(理)