「特別なノート」
広告
ある人にとっては当たり前のことかもしれないが、先日改めて認識したことを綴りたい。
在日朝鮮人3世の私は、初級部から大学まで朝鮮学校に通った。母国語が朝鮮語、母語が日本語である。
私たち同胞系メディアの記者は、朝鮮語と日本語、その他言語を駆使して取材活動をする。在日同胞を取材する際には、朝鮮語だったり、日本語だったり、あるいは両言語が飛び交う会話になるが、月刊イオの誌面で執筆するのは日本語だ。
そのため、取材対象が記者を考慮して、最初から日本語で話してくれる場合もあるが、まさに先日がそのケースだった。
その取材対象者は、朝鮮学校に在学していた頃の話、すなわちその記憶は朝鮮語と密接に結びついているはずだが、その経験を日本語で話してくれた。しかし、私は最初、その内容を日本語でノートに書き始めていたものの、気づいたら朝鮮語で書いていた!
画数の多い漢字を書くのが面倒で、または朝鮮語の方がより本人の気持ちを理解できると思ったのだろうか。
取材対象者が朝鮮語から日本語にして話したことを、私がまた無意識で朝鮮語にしてノートに記し、さらに、記事化するために使用するのは日本語。改めて、この「特殊性」、または朝鮮語世界と日本語世界を行き来せざるを得ない状況を自覚的に捉えることができたのは、数日前に聴講したとある講演によるところが大きい。
講演会で話をしていた在日朝鮮人のAさん(仮名)は、小学校から大学まで日本の学校に通ったが、のちに子どもを朝鮮学校に送る選択をする。
「ノート見せて」。Aさんは、大学で朝鮮学校出身の子と出会い、親しくなり、講義の内容を記したものを見せてもらおうとしたら、その子はノートに朝鮮語で書いていたという。もちろん日本語の講義を聞きながら。その経験が「衝撃的」だったと振り返っていた。
このように、在日朝鮮人が両言語を操るのは、一見魅力的ではあるが、この状況は日本による朝鮮に対する植民地支配に由来する。しかし、この言語的両義性を批判的に捉えながら、自らの立場性を活かし発信することで、本国の朝鮮や日本のメディアでは出せない新たなものを創造することができるのでは、という希望も持ちたい。(哲)