楽しいことを、これからも
広告
朝鮮大学校教育学部美術科を卒業後、朝大研究院で2年間油絵を専攻し、修了後、朝鮮新報社 月刊イオ編集部に配属されたのが2009年。
ここで、朝大に入学する前の頃を振り返る。
私が初めて祖国を訪問したのが2004年6月。高級部3年の頃だ。
当時、「万景峰92」号に乗り、初となる祖国の地を踏んだ。さまざまな観光地をクラスメイトたちと巡るなか、特に印象に残っているのは、大阪朝鮮高級学校(当時)の姉妹校である6月9日龍北高級中学校(以下、6.9)を訪問した時だ。6.9の生徒たちとの交流会では、「将来どんな道に進むのか」を1人ずつ発表していくことになった。
夢もなりたい職業もなかった私は、どんどん回ってくる順番に焦りながら、咄嗟に「朝鮮大学校へ行きます」と答えた。そんなことは初耳だった同級生たちは「え?!」の表情(朝大へ行くようなキャラでもなかった)。6.9の生徒たちからは盛大な拍手を受け、横に座っていた6.9の生徒からは満面の笑みで「언니, 훌륭하다」と言われた。純粋なまなざしを受け、その場しのぎで答えてしまったあの時の罪悪感は、今でも鮮明に記憶している。
高級部3年生で部活を引退し、いよいよ進路について本気で考えなくてはいけない時期。昔から絵を描くことが好きなのでなんとな〜く「絵を描く」ことを学べる大学に行こうかなとぼんやり考えていたが、当時の担任の先生に授業が終わる度に「朝鮮大学校へ行きなさい」と諭される日々を送るようになる。
「朝大へ行きます」と宣言したが、今まで積極的に行きたいと思っていた訳でもない自分に対して、先生は熱心に呼びかけてくれた。そのあまりにもすごい熱量に対し、反抗的な態度を繰り返した時もあった。
結局、親友に「朝大に行って一緒に学ぼう」という叱咤激励の手紙をもらったことで、朝大に行く決心がついた。
十数年経って判明したのは、私のオモニが、朝大へ行くように説得してほしいと担任と親友に頼んでいたそうだ。
オモニ、担任、そして親友が気にかけてくれなければ朝大へ行くこともなかったし、イオ編集部で15年間、デザイナーとして雑誌制作に携わることもなかったし、信頼できる同志たち、そして今の家族とも出会うこともなかった。今の私は、そういったいろんな人たちの支え、愛情、つながりによって構成されているのだと改めて思う。
人生って不思議で、面白い。どのような道を選択するのか、それによって、その先の未来も少しずつ変わっていく。
選択した道が正しいのか、間違っているのかは誰もわからない。もちろん不安もあるが、周りには頼れる人たちがいて、一緒に考えてくれる人たちがいる。そういった環境にいることを、とてもありがたく思う。
…………………………………………………………………………………………
このブログをもって私の投稿は最後となる。今まで私生活のことをゆる〜く書いてきたが、よく15年も書いてきたなぁ!と褒めてあげたい。恐らくブログ記事数で言えば、イオ編集部ではかなり上位に入るのではないだろうか。大阪の両親は、東京に住む私のブログ記事を「生存確認」として読んでいるそうで、アボジからは時々、誤字脱字を指摘される時もある。そういったことが今後はなくなるのだと思うと、少し寂しい。
雑誌制作の楽しさ、ものづくりの楽しさが徐々にわかり始め、5年、10年と経った頃。一人暮らしをする私を心配したオモニからは、何度か「大阪に帰ってきたら」と言われたこともあった。その度に、「もう少し続けたい」と言い続け、今に至る。
30代に突入した時には、「自分の人生このままでいいのか」と悩む時もあったけれど、それは周りの同級生たちのキラキラしている(ように見えた)人生と、つい比べてしまっていた自分がいたからで、一時的な感情に過ぎなかったと気付かされた。
イオ編集部のデザイナーとして15年、数々の雑誌レイアウト、デザインを制作した。デスクワークだけでなく、取材に同行して、さまざまな同胞たちや著名人と会い、たくさんの話を聞いた。コロナ禍には、大阪朝高ラグビー部の花園出場の取材へ行き、現場で熱狂する同胞たちの姿を写真と記事で伝えた。

1年目の時にデザインのノウハウを書きこんだノート。今でも大切に取ってある

イオ編集部発行書籍の表紙デザインを担当した

2021年1月3日「第100回全国高等学校ラグビーフットボール大会」準々決勝。大阪中高の体育館で行われたパブリックビューイング
今までさまざまな企画を出し続けたが、採用された時の嬉しさとは反面、「自分の企画でいいんですか…?」という若干の戸惑いも実はあった。漠然とした自身の企画内容に対して、編集部員が意見を出し合い、肉付けしてくれることがありがたく、そしてそれが形になっていくことが楽しかった。思い出したくない大きな失敗も、大切な教訓だ。大切な人たちとの出会い、別れもたくさんあった。
さまざまな経験を積ませてもらった。まさに「楽しかったなぁ」の一言に尽きる!
いち雑誌編集者として、在日同胞社会をデザインで伝えてきた経験は、何事にも代えがたい。同胞たちの「つながり」がいかに大切かを、朝鮮新報、そして月刊イオが教えてくれた。
これからも、朝鮮新報で「楽しいこと」をやっていきたい。(麗)