「応答責任」と「承認欲求」―日朝連帯運動の経験から―
今月のブロガー:切り刻まれる私(kiimiki)
私のブログに「自己のアイデンティティのために、在日朝鮮人を利用している」とコメントされた方がいた。「在特会」の襲撃事件に対し異議を唱えた記事への否定的なコメントであったが、その言葉にずっと引っかかっていた。思い当たる節があったからだ。私には、他者から認められたいという「承認欲求」が、どこか隠れていたように思う。日朝連帯運動に、この「承認欲求」が発露されることで、一体どのような問題が生じるのだろうか。