第1回優勝校の栄誉は永遠に 始まりのウリハッキョ編vol.30 在日朝鮮初級学校中央サッカー大会
「コマチュック(꼬마축구)」(ちびっこサッカーの意)の愛称で親しまれ、数々のドラマが繰り広げられてきた在日朝鮮初級学校中央サッカー大会が今年で39回目を迎える。第1回大会にスポットを当て、優勝校の西播朝鮮初中級学校(兵庫県姫路市)の足跡もたどりつつ、その歴史をひもといてみる。
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「コマチュック(꼬마축구)」(ちびっこサッカーの意)の愛称で親しまれ、数々のドラマが繰り広げられてきた在日朝鮮初級学校中央サッカー大会が今年で39回目を迎える。第1回大会にスポットを当て、優勝校の西播朝鮮初中級学校(兵庫県姫路市)の足跡もたどりつつ、その歴史をひもといてみる。
朝鮮高校ラグビー部の活躍は全国の在日同胞たちの心に感動と希望を与えている。そんな在日ラグビーの歴史が始まったのは1958年、創立して間もない九州朝鮮中高級学校のグラウンドだった。後に「在日コリアンラグビーの父」と呼ばれた故・全源治さんと生徒たちが切り開いた、ラグビー部の草創期を振り返る。
生まれた朝鮮を離れ、日本の教育を受けた一人の青年が朝鮮地理に目覚め、研究者、教育者として歩んだ道のり―。6月3日に生を全うした在日朝鮮人地理学者の生涯を追った。
第33回全国高校サッカー選手権大会でベスト4という快挙を遂げた東京朝鮮高級学校サッカー部だったが、大会参加はこの一回切り。大会の要項に出場資格の制約が入ってしまったのだ。実力を試す機会を失った朝高選手は大きく落胆する。
1955年、東京朝鮮中高級学校が都立朝鮮人学校だったころ、高級部サッカー部が第33回全国高校サッカー選手権大会に出場し、ベスト4に輝いたことがある。その後の1996年に朝鮮学校の公式戦出場が叶った今も、在日朝鮮人サッカーの快挙として語り継がれる出来事だ。
1949年の学校閉鎖令後、朝鮮学校が再建されるまでの経緯は各地でさまざまだが、滋賀県では「民族学級」を経て学校が再建された。60年4月、滋賀朝鮮中級学校(後に初中級学校、現在は初級学校)が開校するまでの歴史を振り返る。
北海道朝鮮初中級学校が創立されたのは1961年。それまでは道内各地に「午後夜間学校」を置き、自主学校という形で教育が続けられてきた。北海道での民族教育はどのように始まり、発展してきたのか。数少ない資料と当時を知る同胞たちの証言をもとに、高級部が併設されるまでの歴史をたどってみる。
愛知県内では、解放後から1947年までの間に32校の国語講習所や初等教育の場ができ、児童・生徒数は約4800人に達した。その後、中等教育への要望が高まり48年に「中部朝鮮中学校」が創立される。愛知での中等教育を取り巻く状況と、民族教育を守り発展させてきた同胞たちの軌跡をたどってみよう。
九州地方で唯一の在日朝鮮人の中等教育施設である九州朝鮮中高級学校 (福岡県北九州市)が今年、創立60周年を迎える。歴史的に朝鮮半島と深い関わりを持ってきたこの地方で戦後、在日朝鮮人の中等教育はいかにして生まれたのか。県下の民族教育の歴史も振...
1945年8月15日の祖国解放後、在日朝鮮人による中等教育は近畿地方でも 兵庫、大阪を中心に早い時期から始まった。46年6月に創立された朝連飾磨学院中等部は兵庫県のみならず日本全国的に見ても最初期に生まれた中等教育機関のうちの一つだと言われ...
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