輝く、その名も東京朝鮮中学校 始まりのウリハッキョvol.19 中等教育のはじまり(東京)
1945年8月15日の祖国解放後、在日朝鮮人による中等教育が始まって今年で70年を迎える。日本各地で中等教育がどのようにして始まったのか―。まずは、東京朝鮮中高級学校の草創期を振り返ってみよう。
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1945年8月15日の祖国解放後、在日朝鮮人による中等教育が始まって今年で70年を迎える。日本各地で中等教育がどのようにして始まったのか―。まずは、東京朝鮮中高級学校の草創期を振り返ってみよう。
今年、創立70周年を迎える西東京朝鮮第2幼初中級学校(町田市)。同胞数がさほど多くないこの地域で、民族教育の命脈はいかにして引き継がれてきたのか―。1946年の創立から68年の校舎新築までを振り返る。 公会堂を借りてスタート ...
「コッソンイ」(꽃송이、花房)の名で知られる在日朝鮮学生作文コンクールは朝鮮学校に通う児童・生徒たちを対象にした唯一の朝鮮語作文コンクールだ。この間、一度の中断もなく、今年、38回目を迎えた。 1回目は1104編の応募 コンク...
今年4月、創立60周年を迎えた朝鮮大学校(東京都小平市)。在日朝鮮人による民族教育の最高学府はいかにして生まれ、発展の礎を築いたのか。1956年4月10日の創立から59年6月13日に小平へ移転するまでの歩みを振り返る。 仮校舎...
近年目まぐるしい活躍を見せる広島朝鮮初中高級学校(広島市東区)の吹奏楽部。同校で最も歴史の古いクラブだ。楽譜も誰一人読めない中で幕を開けた創部初期から、吹奏楽部としての地位を確立した80年初期までの、知られざるクラブ活動の歴史を探る。
朝鮮学校を象徴するもののひとつに、「サンペン」の通称で知られるマークがある。かつて中・高級部の帽章(帽子につく徽章)などとして使われ、校章にもなっている。朝鮮学校に通った人や学校と関わりを持っていた人であれば、知らない人はいないほど有名なものだ。では、「サンペン」はいつ、どのようにして生まれたのだろうか―。本誌2014年8月号特集で、デザインの考案に携わった当事者の証言に基づいた記事を掲載したが、紙幅の関係で盛り込めなかった内容も含めて、今回あらためてその誕生秘話をひもといてみたい。
2015年に創立55周年を迎えた群馬朝鮮初中級学校。これまで1093人が卒業し、3世代の同胞が通う伝統ある学校だ。そんな群馬初中と、群馬での民族教育にまつわるさまざまな物語を集めてみた。話を聞かせてくれたのは同校の安重根校長(69)、群馬初中・初級部2期卒業生の廉数昭さん(66)と朴徳栄さん(66)の3人。
山口朝鮮初中級学校は来年、学校創立60周年、民族教育実施70周年を迎える。閉鎖命令に対する抗議デモ、学校閉鎖期に続けられた民族教育からは、山口同胞たちの抵抗の歴史が見えてくる。
尼崎市内の朝鮮学校は1949年の「学校閉鎖令」以降、日本の市立学校の分校として民族教育が守られた。その後、中級学校の設立を経て、自主学校となり、各種学校の認可を取得。尼崎朝鮮初中級学校は来年4月に創立70周年を迎える。
昨年、創立50周年を迎えた静岡朝鮮初中級学校(静岡市)。現在、県内唯一の朝鮮学校である同校が1964年に産声を上げるまでの歴史は、県下の民族教育のルーツである浜松朝鮮初中級学校を抜きには語れない。 かつては高級部も 1945年...
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