最終回 たたかいの歴史から何を学ぶか
本誌で2013年1月号から連載してきた「同胞権利ヒストリー」が今月号をもって終了する。連載最終回となる今回は、これまでの取材・執筆を通じて感じたことや、残された課題などについて思うことを書いてみたい。 権利獲得運動のダイナミズ...
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本誌で2013年1月号から連載してきた「同胞権利ヒストリー」が今月号をもって終了する。連載最終回となる今回は、これまでの取材・執筆を通じて感じたことや、残された課題などについて思うことを書いてみたい。 権利獲得運動のダイナミズ...
植民地支配や戦争の被害を受けた人々に対する戦後補償において、日本は過去の反省と清算から目を背け、被害者の訴えを退け続けている。1990年代以降、被害者による訴訟が日本政府や企業を相手に相次いで起こされるが、そのほとんどが棄却された。 &nb...
戦後、在日朝鮮人に対する就職差別は「常識」だった。公的機関による外国人排除の論理は民間における国籍・民族による就職差別を助長し、在日朝鮮人の職業選択の自由は侵害され続けた。その傾向は現在においても根本的に是正されていない。 大...
在日朝鮮人の多くは本名である民族名のほかに「日本名(通称名)」という2つの名前を持って生活してきた。朝鮮人差別が根強く残る中で、ある者は民族名を名乗ることに不利益を強いる現実に抗い、またある者は奪われた名前を取り戻すたたかいに立ち上がった。...
在日外国人の多くを朝鮮人が占めていた時代、民間の賃貸アパートに「朝鮮人お断り」などの露骨な張り紙がしてあることは少なくなかった。国籍を理由にした差別に声を上げることができない状況は長く続いた。
在日朝鮮人の障害者、高齢者の一部の人々は年金を受け取れず、苦しい生活を送っている。国籍に関係なく等しく支給されるはずの年金制度の不備によって生まれた無年金問題。日本政府による制度的差別の一つであるこの問題はいまだ解決を見ていない。 &nbs...
2003年12月、東京都が江東区枝川の東京朝鮮第2初級学校(以下、東京第2初級)の 校地の一部返還と4億円の損害金支払いを求めて提訴した裁判(以下、枝川裁判)は 07年3月、和解という形で決着した。 枝川裁判は在日朝鮮人の民族教育権をめぐっ...
朝鮮学校は各種学校であることから学校運営に対する公的助成が少額で、 保護者らは少なくない経済的負担を強いられてきた。 地方自治体からの公的助成を求める運動は1970年代から始まり、 各地でさまざまな形の補助金を勝ち取ってきた。 ...
朝鮮高級学校(朝高)は長い間、日本の高校スポーツの総本山・全国高等学校体育連盟(高体連)が主催するすべての公式試合に出場できなかった。 高体連が加盟資格を学校教育法第1条で定める「学校」(1条校)に限定し、各競技団体もこれにならっていたため...
大学に入学(受験)できるのは高校卒業生と帰国子女、大学入学資格検定(大検、現在の高校卒業認定資格)の合格者などと定めた学校教育法を盾に文部省(後に文科省)は朝鮮学校をはじめ一条校でない外国人学校の卒業生には大学の受験資格がないという立場を長...
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